西表のターザンを忍んで、お別れ編

2008.08.20 Wednesday

0
               「恵勇オジィ、包丁さばきは慣れたものだった」           
               

    オジィは前日捕れたボラを刺身にしてくれたが、とても食べる気にはなれなかった。しかし、東京湾にいるボラは臭いけれど、西表島のボラはきれいで臭みはなかった。それだけ海の環境汚染が無いという事だと思う。

    (前日までのあらすじ))
    ドラム缶風呂の湧かし方や、魚の獲り方、小屋の煙で自分の無事を知らせる方法などを教えてくれた、オジィの100%自給自足で暮らす生活の知恵に驚かされた。と同時に病気になったり、怪我をした時はどうするのかが心配になった。

               「琉球イノシシの足跡を見つけ教えてくれた」 

               

    確かに人里離れた生活で困るのは病気や怪我をしたときだ。

    「ハブには二度噛まれたさぁ。でも捕まえて食べたから平気よ。腕がこんなにふくれ上がったけど、治ったさぁ」

     近くに医者はいない、誰も助けてくれないのである。あたりまえだが、自給自足の生活は自己責任だ。恵勇オジィにとってハブなど怖くないらしい。 

     

    「俺の宝物があるから見てくれよ」

     そういうとオジィは、大事そうに箱の中から透明なビニール袋を取り出して、たくさんの手紙を見せてくれた。それらはオジィと会えて嬉しかったという感謝の手紙や体を気遣う手紙ばかりだった。中にはクレヨンで描かれたオジィの似顔絵もある。それらを広げ、嬉しそうに説明をしているオジィの顔を見ているうちに、なぜか熱いものがこみ上げてきた。なぜ涙が出そうになるのか自分でも不思議だった。取材中に涙が出るなんて初めての経験である。

     

     

     二日目は朝早くテントの中で目が覚めた。すでに白い犬はあちこち歩き回っているようだった。体が朝露に濡れている。波は静かに打ち寄せていて、穏やかな一日がくることを告げてくれている。もうこれ以上恵勇オジィには聞きたいことは無かった。一緒にいるだけで、西表島の緩やかな時間の中に溶け込み、あたたかな気持ちで過ごせる。

     「山に入るぞ、着いてくるか」

     かごを背負い、鎌を持ったオジィが声をかけてきた。

     「行きます」

     原生林に入れば山菜はいつでも採れるし、イノシシだって獲れるんだそうだ。食材にはあまり苦労することはなさそうである。浜辺の反対側の川にはこぶし大のシジミがいるというので、探しに行ったりしているうちに一日が終わった。恵勇オジィとの楽しいひとときであった。

     最終日の朝になり、池田さんの船の音が聞こえてきた。既に荷物はまとめておいた。短期間ではあったが、砂川ターザンの不便だが幸せな暮らしぶりにすっかり魅せられていたので、名残惜しい出発だった。最後にオジィの掘建小屋の前にあるブランコについて質問してみた。

     「あれは、子供たちが喜ぶからつけたさぁ」

     「オジィまたくるから元気でね」

     ぼくの荷物を船まで運んでくれたのでお礼を言ったが、船が岸から離れると恵勇オジィはゆっくり何も言わずに去って行った。後ろ姿はどことなく寂しげに感じた。

     「さよなら、西表島のターザン」

            

    「最終日、迎えの船に乗り込んで帰っていくときも、恵勇オジィは名残惜しそうに砂浜で見送ってくれていた。」

    残念ながらこれがオジィとの最後の別れになってしまった。数年後、西表島にまた取材で行く事になり、久しぶりに池田さんに連絡すると、オジィは亡くなったと聞かされた。池田さんが船で近くを通ったとき、いつもなら音を聞きつけて小屋から出てくるのにその日は現れなかった。おかしいと思い、小屋をのぞいたら倒れていたそうだ。宮古島からおにいさんが来て、遺骨を引き取って行ったそうだ。その後、お兄さんが恵勇オジィの載った「田舎暮らしの本」が記念に欲しいという事でお送りした。

    これには後日談がある。

    2004年の四月に久しぶりに網取湾の珊瑚礁の撮影に行く事になった。懐かしさもあり、恵勇オジィのいた浜に向かって船を進めていくと、かつて恵勇オジィが現れた浜から、棒を持った全裸のオジィが現れた。それもこちらを威嚇するような仕草をしている。

    恵勇さんの遺した小屋に住み着いた別のオジィがいるのだ。たぶん畑や小屋をそっくり引き継いでいるのだろう。しかし、彼はオジィの墓前に花の一本でもあげて、引き継ぐ事のお礼でも言ったのだろうか。もしそうでないなら、今からでも花をあげてほしい。

    そして、砂川恵勇ターザンの優しい心を汲み取っていただきたい。浜はみんなのものなのだ。全裸で暮らしていたら、毎年楽しみに遠足でやってくる子供たちが、オジィの浜に来れなくなるではないか。オジィがせっかく作ったブランコも寂しく揺れるだけになる。



















    コメント
    2011.9.2に網取湾を一周して来ました。湾奥の砂浜にはボート、人影、焚火煙などはありませんでした。ガイドさんからここにターザンが住んでいたことを聞き、私は感動しました。現代人はなんの為にアクセク働いて居るのてしょうか?
    ヒロ
    • by 日下部啓之
    • 2011/09/06 2:51 PM
    恵勇おじさんの兄は私の祖父です。たまたま恵勇おじさんが検索でありこの記事を見てびっくりしました。恵勇おじさんはいろいろな方々に愛されていたのですね。わたしもいつかまたあの浜辺にいきたいです。

    • by 砂川 安広
    • 2009/08/30 6:24 PM
     先日、船浮に行って来ました。恵勇爺の
    ことを書いた絵本「恵勇爺と泡盛談」、1000部
    限定の自費出版だと思っていたら、バスの運転手さんが
    得意げに製本版を見せてくれました。
     出版社を聞き忘れましたが、入手できる
    みたいですね。
    • by タカ
    • 2009/07/24 7:21 PM
    コメントする
    トラックバック
    この記事のトラックバックURL