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    瀬底島のリルワット族-3

    2009.08.16 Sunday

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       これまでの話、バンクーバーで知り合った日本人から紹介されたリルワット族の村に、取材で行くことになった。村のサッカーチームが先住民の大会で優勝したことを知り、ひょんなことから日本各地で試合しながら彼らを知ってもらう計画を実行するはめになる。

      前回からの続き・・・

      アルビンと東京で再会をする約束をすると、なぜか彼らがすごく身近に感じるようになったのだ。東京にきたらいろんな所を案内してあげよう。

       

        さて、その晩は僕たちが泊まっているトレーラーハウスに近所のみんなが集まり、ビールやウィスキーを飲みあかして遅くまで大騒ぎの夜だった。もちろんアルビンの大漁祝いも兼ねてのことである。気が付くとぼくのベッドにはいつの間にか知らないおじさんが寝ていた。しょうがないのでソファーで寝ることにする。明け方になり、犬の吠える声で起こされた。ひどく吠えているので、なんだろうと思ったら、トレーラーハウスの周りに動物のおおきな足跡がたくさん着いていた。初めて見る足跡なので種類が判らない。アルビンに話すと、それはブラックベアーの足跡だ、まだ近くにいるから見に行こうという。驚いた。ブラックベアーはおとなしいので怖くないらしい。おっかなびっくりアルビンの後を付いて行ったら、300mほど先の畑の柵のそばに何か黒い点がうごめいている。熊だ。4、50mまで近づけるという。そっと近づいて行くとこちらに気が付いて後ろの山に駆け上って行ってしまった。ブラックベアーが臆病な性格というのは本当らしい。

        でも、グリズリーは人間をえさだと思っているから、出会ったら覚悟した方がいいよと脅かされてしまった。そんなものには出会いたくはない。リルワットの村はカナダの大自然と密に共存しているのを実感したのである。

       

         二日酔いでフラフラしながら帰国する準備をしていると、突然アルビンが現れ、

       「トミーに紹介したい奴がこれからくるから」

        と言う。ほどなく小柄な若者が現れた。ジェームスと名乗り、

       「子供達に格闘技を教えたいので、日本の武道家を村に呼びたい。協力してくれ」

       「どうして武道なの?」

       「白人に負けない強い精神力を子供達に教えたい」

        彼は村の子供の支援プログラムを立ち上げて、夢の持てない先住民の子供達になんとか誇りや自信を持たせたいのだと言う。力になってあげたいが、武道家に知り合いはいないので、そのときは

       「日本に戻ったら、いろいろ調べて連絡するから」

        とだけ話して村を出発した。

        

        さて東京に戻ると、根本君から「ASAP友の会」という小冊子がおくられてきた。それには、リルワット村の出来事やカナダ先住民の現状や彼らにまつわるエピソードと援助のお願いなどが書かれている。その中に村の青年たちのサッカーチーム「コヨテーズ」が先住民たちの対抗戦で好成績を収めたので、日本遠征したいというような話が乗っていた。僕は無類のサッカー好きで、高校生の時は和歌山で開催されたインターハイに出場した経験もあった。これなら自分の力でも協力できる。一緒に彼らとボールを蹴るのは楽しいだろう。頭の中でその時のことを想像するとわくわくしてしまう。特にサッカーというスポーツは、世界の共通語といわれるくらいコミュニケーションの手段として優れている。ぼくも世界の各地で言葉が通じない時には、ボールを蹴る人々にまじって一緒にサッカーをする。と、すぐ友人が作れて取材活動もスムーズにいくことが多かった。身を持ってその素晴らしさは知っている。なので、これからスポーツを始めようとする若者にはぜひサッカーやフットサルを勧めたい。ボールが蹴れればどこの国に行っても友達が作れるからね。野球ではなかなかそうはいかない。リルワットの青年達も日本でたくさん友人を作れるに違いない。そんなことで、さっそく根本君に協力を申し出た。

             

        それからが大変だった。リルワットの村では根本君が計画を実現するために、長老たちへの根回しを行うことになった。実は根本君も高校時代サッカー部で、サッカー大好きということだ。彼のやる気にも熱が入る。ところが、先住民の村は長老たちの合議制であることが多い。リルワットの村もそうだった。日本への旅を認めるかどうか、予算はどうするのか、誰を行かせるのか、やきもきする議論は続いた。せっかくの計画も村の長老達が反対すれば実現は不可能である。

        

        そんなとき、アルビン達が東京にやってきた。約束通り、再会を果たし僕の家に招待した。そのときは、静岡県裾野市の山の中にログハウスを建てて住んでいたので、何人でも寝泊まりできたのである。アルビンも村の若者と日本の若者のサッカー交流には大賛成であった。村に戻ったら実現に向けて強力に援護するという。

        その日もアルビンと一緒にビールを飲んだ。彼にログハウスの説明をしている時に、突然立ち上がり太鼓をたたきながら歌いはじめた。

        「ヘイヨーへイ、ヘイヨーヘイ、ドン、ドン」

        どうしたのかと尋ねると

        「ログハウスの丸太がカナダから日本に来て、寂しがっている。だから木を落ち着かせるための歌を歌った。もう大丈夫」

        それ以来、ログハウスは気のせいか、裾野の山の中にいることを納得したような気がする。

        彼らと一緒にいると、時々ぼくには見えないものを見せてくれることがある。リルワットの村で、アルビンの家に居候しているワートという青年は、一緒にドライブしていると森の中を指さし、あの木にはイーグルの巣があるといったり、あそこには動物が木の実を溜め込んでいる食料庫のようなものがあるなど、いろいろ教えてくれる。しかし、ぼくの目にはただの森にしか見えない。

       「ワート、ぼくにはどこにあるかわからないよ」

        ワートはその度に悲しそうな顔をするだけだった。帰国するとき彼は、お守りだといって動物の牙をくれた。熊の牙だと言う。

       「お前にはそれが必要だ」

        日本にはお金があるから世界中のものが集まってくる。けれども、自然の木などのものに宿る心までお金で買えるわけではない。というよりも、そんなことにはだれも気がまわらない。自然のものには精神が宿っていると信じる先住民だからこそ、見えるものがあり歌える歌があるのだと思う。

       

        アルビンの協力は心強いけれども、村の状況はどうなってるのだろうか。心配である。

        「サッカー交流の計画は村の長老達は賛成なのかい」

        「いまの所なんとも言えないね」

        アルビンの話では、村の中には改革派と保守派の長老がいてそれぞれが違う意向を持っているのだという。なかなか結論は出ないらしい。アルビンはバリバリの改革派で、若者達には一目置かれているのだが、保守派の長老達には目障りな存在になっているようだった。

        それでも、アルビン一行が村に戻りしばらくすると連絡が来た。アルビン、根本君、ジェームスの努力で、ようやく「コヨテーズ」の日本遠征は決定した。最初の申し出から一年近くがすぎていた。しかし、ありがたいことに、村の予算も一万カナダドルを使うことが許された。決して豊かな村ではないので、一万カナダドルは大変な金額である。ぼくも緊張した。言い出しっぺは責任重大なのだ。絶対に成功させるぞと強く心に決めた。

        それからは、あちこちに寄付をお願いしたり、対戦相手を見つけたり、宿泊施設を捜したりと忙しい日が続いた。寄付が集まりはじめ、計画にもなんとかメドがついた。ぼくには日本にやってくるリルワットの青少年達に、どうしても見せたい場所があった。沖縄の海である。計画の最後の週は時間をたっぷり取って、亜熱帯の海を見たことの無い少年たちに、美しい沖縄の風景の中でたっぷり遊んでもらいたかった。彼らの心の中に青い空と白い砂浜とコーラルグリーンの海は、一生日本の思い出として残るに違いない。

       

        忘れもしない1996年の6月13日。関西国際空港にリルワットの青少年15人が降り立った。

        まず、和歌山の新宮で試合をすることになっている。ぼくは東京にいて、その結果を期待して待っていた。しかし、残念ながら4対0で負けたとの連絡が入る。ありゃりゃ、どうやらぼくが考えているほどには「コヨテーズ」は強くないらしい。困ったことになった。このあとの対戦相手は大学のサッカー部などの強豪チームが目白押しだ。あまり弱いと相手にも迷惑をかけることになる。強いチームにはBやCチームを出してもらうとしよう。

        そして6月18日、いよいよ名古屋駅で彼らと対面する日である。予算が無いので名古屋から次の対戦地、水戸まではマイクロバスで移動だ。移動に大活躍のマイクロバスはボランティアで運転してくれる津川君のおかげで調達できたものだった。感謝、感謝である。

        「富山さん久しぶりっす」

        相変わらず汚い格好で根本君が駅から出て来た。元気そうだが、どう見ても日本人には見えない。案内役の根本君をのぞき、チームのメンバーはほとんどが初めて見る顔ばかりだった。村で子供達の支援プログラムを行っているジェームスがリーダーとしてきていた。残念ながらアルビンはいない。ほかに3人の中学生が子供達の代表としてきていた。みんなの顔がなんとなく緊張している。初めて見る日本は、コンクリートだらけの風景で彼らにとって必ずしも住みやすい土地ではないようだ。ぼくの頭の中は、これから事故など起こさずに無事スケジュールをこなして帰りの飛行機に乗せられるか、というようなことを考えていた。青年達の顔を見ていると、とても一筋縄ではいきそうもない雰囲気だったからである。

        しかし、それは思い過ごしだった。ミニバスに乗り、車中で自己紹介などしながら雑談をしているとだんだん初対面の固さも取れて来て、冗談も出るようになって来た。あとで判ったことだが、村では誰を日本に送るのかという議論がでて、人選にもめたらしい。そのとき一つの基準が決められ、まじめでしっかりした良いやつを送ろうということになったようだ。けっしてサッカーの上手な青年が選ばれて来ている訳ではなかった。バンクーバーの空港では円陣を組んで、日本遠征にいく目的や意味を繰り返し全員にジェームズが言い聞かせ、絶対に問題を起こさないことを誓い合っていたようだ。それを見ていた根本君も、みんなが異常に緊張しているのがわかり、異様な光景だったと話していた。

      こうしていよいよ先住民サッカーチームと、日本各地に出向きサッカー試合の旅が始まることになった。


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