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2022.09.20 Tuesday

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    那覇のイタリアン

    2008.12.22 Monday

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      毎年12月になると、那覇マラソンの応援で東京から20人ぐらいで駆けつける。もちろんその中にはマラソンを走るメンバーもいる訳だけれど、いつの間にか男性よりも女性ランナーの方が多くなってしまった。恒例の34キロ地点の応援は前回述べたように、もう10年ぐらい続けているので、覚えてくれたランナーも出始めた。いわばおなじみさんだ。

      それはそれとして、この20人ぐらいのメンバーが那覇マラソン前日の夜に、那覇のイタリアンレストランでカーボパーティを行う。ところが、この店選びが大変なのだ。カーボパーティはマラソンランナーのエネルギー源である炭水化物を、出来るだけたくさん摂って身体に蓄えておくためにするのである。だから前日の夜にパスタを食べられるだけ食べておくのだ。

      べつに僕たちが量を食べるから店を捜すのが難しい訳ではなく、僕たちがパーティに使った店が翌年には閉店してしまうので、またイタリアンレストランを捜して予約するのが大変なのだ。今年は美栄橋のヨナハウスというレストランでパーティしたのだが、とても感じの良い店でパーティも盛り上がった。しかし、これまで5軒ほど無くなってしまったので、この店も来年あるのかどうか判らない。イタリアンは那覇では難しいのだろうか。

      店の窓から暗くなった外を眺めていたら、イタリアの国旗がなびいていて、明るく輝く自販機が透けて見えた。僕たちがパーティやると閉店するよ、なんて店の人には言えないよね。





      来年もココでパーティ出来ると良いのだけれど・・・。










      ボタニカルアート

      2008.12.21 Sunday

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        ロシアで見つかったシーボルトの「フローラ・ヤポニカ」日本植物図譜は、彼がオランダに持ち帰ったら、欧州の画家達に驚きをもたれたそうだ。浮世絵がジャポニズムとして欧州の画家達に影響を与えたことは知られているけれど、川原慶賀らの描いた水彩の植物画も好評だったようだ。

        ペテルスブルグのコマロフ図書館に勤めるタマラ女史が、「フローラ・ヤポニカ」の研究をしていて、彼女の話は僕の知らないことばかりでとても興味深かった。

        ボタニカルアートについて当時の日本人絵師達は当然知らなかった。シーボルトが植物画の書き方をレクチュアして描かせたようだが、それは教えた以上に素晴らしい植物画になり、日本人絵師達の優秀さに驚いていたようである。

        ロシアに買い取られた「フローラ・ヤポニカ」の原画の中には、切り刻まれて絵の研究をしたと思われるものもあった。原画から西洋の絵師が書き写した植物画も多数含まれていたのが印象的で、彼らが文化の違う極東の島国を興味深く見ていたことが容易に想像出来た。

        写真でも、絵画でも花は人気がある。ボタニカルアートが人気でリトグラフもよく売れているようで、日本のボタニカルアートの原点がこの「フローラ・ヤポニカ」ということのようだ。オリジナルの展示があれば、ぜひ見ることをお勧めしたい。


















        選挙と自販機

        2008.12.20 Saturday

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          久しぶりに飯田橋へ散歩に行った。冬の陽射しが気持ちよく感じられて、心無しか街が明るく見える。来年の不景気を予想すると、僕らフォトグラファーも大変なことになりそうだが、取りあえず今日はそんなことを忘れて歩くことにした。

          とはいえ、街の風景に溶け込んでいる自販機にも、世の中の関心がどこに向かっているのか現われていた。ちょっと前には無かった、政党の新しいポスターが目立つところに貼られている。近々行われるであろう総選挙を意識しているのは間違いない。

                   

          しかし、自販機も大変だ。どこかの公園に防犯カメラを取り付けた自販機を置いたところ、何度も落書きされたり、壊されたりしているらしい。そこら中にある自販機が防犯カメラになったりすると、そりゃ困る輩も出てくるだろう。そんなことして監視社会になったら大変だと、心配する人々もいる。しかし、犯罪は思わぬところで起きているから、犯罪防止の工夫はどこかでしなければならない。

          僕だって、暗い夜道で明るく輝く自販機を見た時、これは防犯に使えるんじゃないかと思ったものね。

          自販機は防犯の役目を任されそうになったり、ポスターの掲示板になったり、コインパーキングの両替機に利用されたりして自分の居場所を見つけている。ある意味凄いことではあるね。そのうち、しゃべったり動いたりしてロボットになるのじゃないだろうか。

















          シーボルトのフローラ・ヤポニカ

          2008.12.19 Friday

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                                      「ナカシマミカン」
                

            来年は日本とオランダの通商四百年記念の年になるそうだ。オランダと言えばシーボルトがまず思い出される。いやそうでは無いだろう、という方もたくさんいると思うが、僕はどうしてもシーボルトを思い出す。理由は明瞭である。シーボルトが日本人絵師に描かせた植物画「フローラ・ヤポニカ」の原画を撮影したことがあるからだ。

            長崎から将軍に会うため江戸まで歩き、その道中で出会った草花を川原慶賀や清水東谷らに描かせた植物図譜である。100年以上の時を経ても原画は鮮やかだった。

            その原画は現在、ロシアのサンクトペテルスブルグにある。何でロシアにあるのか不思議だったが、今年シーボルトの遺書のなかに、奥さんへの遺言でロシアへ売ってくれという一文があるのが見つかったそうだ。ロシア科学アカデミーのタマラさんという女性研究者が見つけたらしい。

            当時のロシアは超金持ち国だったので、シーボルトは売り渡したのだろう。当時の日本とロシアの関係を考えれば、良い金額になったと思うよ。その他の風俗や動物などを描いた図譜も、エルミタージュ美術館・ウィンターパレス(冬の宮殿)の倉庫のどこかに眠っているとの噂だ。これらの原画もぜひ撮影したいものだが、ロシアとの撮影交渉は大変なので、誰か交渉になれた人にお願いしなければならないだろうね。

            400年経って、日本とオランダの距離は縮まったのだろうか?



            今帰仁城趾の水牛

            2008.12.17 Wednesday

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              20年以上前だったと思うけれど、今帰仁城趾が世界遺産に指定され、整備される前は訪れる人も少なくのんびりした田舎の観光地だった。くたびれたお土産屋の並ぶ空き地に、水牛が一頭繋がれていて、たまに訪れる観光客相手に水牛と一緒に写真を撮らせ、オジイがタバコ銭を稼いでいた。

              来年の干支が丑年ということで、年賀状用の写真を捜していたらこの写真が出て来た。赤や黄色の造花で飾られた水牛が懐かしい。その水牛オジィはすでに亡くなったと聞いたが、今帰仁城の現在の人気ぶりを見たら、一儲け出来たのにと悔しがるかも判らない。

              西表島や竹富島では水牛の引く荷車に乗って島内観光している。西表島では水田を耕す水牛を撮影したこともある。おとなしくて役に立つ水牛は離島で活躍しているのだ。

              さて、丑年の来年は一体どんな年になるのだろう。ちょっと心配な来年ではある。
















              岡島瑞徳さんを忍んで

              2008.12.16 Tuesday

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                                「滝行する岡島さん」
                   

                週刊文春を読んでいたら、岡島瑞徳さんが亡くなったという一行が眼にとまった。まさかと思ったが、記事では10月に大腸がんで逝ってしまったと脚本家の奥さんが話している。

                岡島さんにはずいぶんお世話になった。一番の思い出は、12年前に宝島社から10册シリーズで出版した心と身体の健康法を制作したことだ。毎月のように経堂の道場で、岡島さん指導の元に生徒さんをモデルにして撮影した。

                カナダからインディアンの青年達を日本によんで、各地でサッカーの試合をして歩いた時にも協力してもらったことがある。その時は、インディアンの青年達と神奈川県の洒水の滝で滝行を行い、交流を深めたことも良い思い出だった。彼らの村に遊びに行こうと話していたが、とうとう実現しないままに終わった。

                当時僕は富士山麓のログハウスにすんでいたので、滝行が終わったあとに生徒さん達とログで大騒ぎをしたこともあった。みんなどうしているのかな。

                僕が病気をしたり、沖縄の撮影が忙しくなってからは疎遠になってしまったが、週刊誌で知人の生死を知るというのも寂しいものである。今年の年賀状には沖縄にハマっています、という挨拶が書かれていたので、機会があれば沖縄についていろいろ話し合いたかった。

                とても残念である。故人の冥福を祈りたい。
















                美味しい看板

                2008.12.14 Sunday

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                  7キロのダイエットに成功してから、さらにあと3キロ体重を落とそうとしているのだが、ここ2ヶ月は65キロから66キロの間をウロウロしていて、なかなか思うように体重は減ってくれない。

                  だから、いつも以上に歩く時間を延ばすのだが、そうするとお腹が減り、歩いているコースにある飲食店の看板に目が行ってしまうのだ。食べたら体重が増えるので、我慢するしかないのだが、これがけっこう辛い。街中には誘惑が一杯だ。



                  各店も趣向を凝らした看板を店頭に出し、通りかかる客をなんとか店に呼び込もうという努力をしている。

                        

                  和食、韓国料理、イタリアン、中華とそれぞれ特徴ある看板なのだが、洋食系は黒板にチョークでメニューと料理の絵を描いたものが多く、レストランのチェーン店は写真をふんだんに使い、目に訴える看板が多いように思う。負けじと個人店も自作の看板に写真を取り入れている。しかし、あきらかに素人写真で、残念ながら訴求力は今ひとつだ。

                        

                  神保町はカフェ激戦区なのだと思うけれど、ほとんどのカフェチェーンの店がある。さらに個人の店もあるので、看板にも力が入る。歩道に出されたイーゼルの数も目立つ。

                        

                                  

                        

                  このハンバーガーショップの看板は面白い。誰が描いているのか判らないが、遊び心が一杯だから、つい立ち止まって見てしまう。でも店に入って注文しないけれどね。そのうち一度は食べてみたいと思ってはいます。

                  夏になると、やはり僕も日本人なので、下の写真の看板の前を通り過ぎるのは辛い。おそらくカロリーはたいしたことないはずなので、食べても問題は無いと思う・・・ね。

                        

                  かき氷だから大丈夫と思っても、油断しては目標の体重まで行き着けない。この写真でも判るように8月から頑張っているのだよ。

                  しかし、もっとも目にするのが辛い看板は、大好きなラーメン屋の看板なのだ。歩いていてあの独特な香りが店から流れてくると、もう無性にお腹が減ってくる。だから、歩くコース上にはなるべくラーメン屋の無いところを選んでいるのだ。

                        

                  でもこんな看板見ると入ってしまうのだよね。だから体重落ちないのも仕方ないのかもね。













                  ロイドのライブ

                  2008.12.12 Friday

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                                    「シュール・シュリンプ」


                    那覇のライブハウス「Royed」で知人の和歌之介さんたちのライブがあるというので、久しぶりに出かけて行った。彼女達のバンドは、ドラム、ベース、ギターの女性三人組シュール・シュリンプという。



                    この日のライブはロイドのオープン8周年記念と銘打ってのライブなので、他にもオーナーの声がけで5、6組が出演する。どれもインディーズのアマチュアバンドなのだが、以前も述べたように沖縄はこの手のバンドはレベルが高い。

                    しかし、シュール・シュリンプは一番手で登場したのだが、まだ客の入りが少なく、いまいち盛り上がりに欠けてしまった。ベースとドラムのトークも滑りがちである。まだ早い時間だったので、沖縄の習慣ではおそらく10時過ぎなければ客は集まらない。ちょっと残念だった。



                                         



                    とはいえ、最後の曲「豚ニャンコ」は人気のある曲のようで、ステージ上で三人が「豚ニャンコ、豚ニャンコ」と歌うと、会場の少ない客達も思わず「豚ニャンコ」と声に出していた。





                    残念ながら僕は次の約束があり、友人が車で迎えに来てくれたので、この日のライブは最後まで聞くことは出来なかったが、沖縄での音楽は、ステージと客席の差があまりないことを実感させられたライブでもあった。





















                     

                    今年の那覇マラソン

                    2008.12.11 Thursday

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                                       「牛も走る那覇マラソン」


                      今年も那覇マラソンの応援に行って来ました。

                      総勢25名の恒例の那覇マラソンツアーです。今年は15名が走り、14名完走という成績でした。初マラソンで5時間を切って走ったジョガーもいて、気温が上がった割にはなかなか良い結果になったと思います。これも、皇居のまわりをせっせと走った賜物です。



                      那覇マラソンの参加者は年々増えていて、今年は申し込みで3万人を超え、当日走ったランナーも2万6千人だったというから、東京マラソンより大きなマラソン大会になった。何より本土からの参加者が昨年よりも5千人も増え、1万人を超えたそうだから沖縄にとってはよい観光資源に育ったスポーツ大会といえる。

                      本土からの参加者が増えると、かぶり物を着て走るランナーも増えて来た。今年は来年の干支である「牛」も走っていた。相変わらず多いのはサンタクロース、そういえば今年は猿も多かった。



                      我がチームの応援団は、例年通り34キロ地点に陣取って、チャイナドレスガールズが冷たい水、シュウマイ、レモン水、筋肉消炎剤スプレーなどのサービスをボランティアで行った。



                      もう10年近く続けているので、ランナーも覚えているらしく、ときどきいつも有り難うと声をかけられたりしている。こんな時は嬉しいのだな。



                      外国からの参加者も時々見かけるようになった。特に台湾からの参加者は多いようだ。チャイナドレス姿なので、中国語で話しかけられることもあった。



                      ミャンマーの旗を持って走るランナー。早く軍事政権から民主政権に変わって欲しいもの。



                      初マラソンの彼も34キロ地点へたどり着けば、彼女達の声援をバックに完走出来る。残りは歩いても制限時間内でゴールだ。絶妙な地点に応援団は陣取っているのである。

                      マラソン終了後の翌日には、辺戸岬を訪れた後、カヌチャリゾートで鍋パーティをした。

                             

                      辺戸岬はいつ行っても物悲しい雰囲気だ。今回もなんだか寂しい風景だったが、全員初めての辺戸岬に満足して、カヌチャに向かう。



                                           



                      素晴らしいコテージで鍋パーティは盛り上がった。天候も良く、気温も上がったのでテラスに出ていても寒くない。12月だというのに、テラスで遊べるのはまさに沖縄の自然の魅力だ。電飾で飾られたホテルの敷地内にあるヤシの木も、南国リゾートの趣をたっぷり伝えてくれる。



                      テラスから見えたお月さまも、この日は特別美しく映えていた。

                      那覇マラソンに参加された方は下記のアドレスに僕が撮った写真をアップしているのでご覧になって下さい。もしかしたら写っているかもですよ。


                      よろしくです。






















                      いよいよ今日は那覇マラソン

                      2008.12.07 Sunday

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                                          「奥武山公園」
                             

                        今朝は那覇マラソンがあるので、奥武山公園の周囲は写真のように準備に余念がなかった。今年の参加者は三万人を超え、本土からの参加者だけでも一万三千人になるそうだ。僕が初めて那覇マラソンに参加した頃は一万人をようやく超えたあたりだったが、とうとう24回目の大会は日本一となったようだ。

                                        「奥武山スタート地点風景」
                             

                             

                             

                             

                             

                             

                             








                           












                        昭和の記憶と自販機

                        2008.12.02 Tuesday

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                                           「東洋キネマ寮あと」


                          湯島の写真ギャラリーを訪れたあとに、お茶の水から水道橋へ向かって歩いていたら、建物の壁だけが残され、その壁に自販機が埋め込まれている風景に出会った。何度も通っていたのに今まで気が付かなかったが、よく見ると変わった光景である。

                          玄関らしき扉があるので、近づいてみると下の写真のような表札があった。

                                            「東キネ寮表札」


                          「東キネ寮」とは東洋キネマの従業員寮の事らしい。昭和の初期に神田神保町にあった映画館のひとつが東洋キネマで、その頃の神田は映画の街だったようだ。まだテレビが無い時代なので、映画は娯楽の王様だった。学生時代に映画カメラマン助手のアルバイトをしていた時、映画全盛時代の華やかさをよく聞かされたものだ。ロケハンと称して、監督はじめプロデューサーやカメラマンと連れ立って地方に行き豪遊した話など何度も聞かされた。

                          当時は予算が潤沢だったので、なんの問題も無かったらしい。現在の映像関係者が聞いたら何とも羨ましい話だ。

                          この建物は、夢や希望もあった時代に建てられ、いまは壁だけになってしまった。何とも現代の映画産業と似たような構図に見えるのは皮肉なものである。しかも、その壁に自販機が埋め込まれ、小銭を稼ぎ出すところなどは、本業以外でビジネスする映画産業を思わせる。

                                            

                                             「さいかち坂」
                               

                          自販機のある坂道はさいかち坂である。隣がデザイン学校なので、学生たちがわいわいがやがやと通り過ぎて行ったりしている。昔はここに、映画館で働く同じような年頃の従業員が生活していたなんて想像出来やしない。昭和は遠くなっている。



































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