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2022.09.20 Tuesday

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    琉球古道、国頭方東海道の伊波グスク

    2009.09.29 Tuesday

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      「伊波グスクの風景」

       すでに沖縄の200か所をこす遺跡を見て回っている。琉球古道というタイトルを付けて写真展を予定していて、ようやくそれが現実になるところまできた。

      ところが、宿道を中心に歩き回っていてある疑問がわいてきた。沖縄の南部では石垣のグスクが多かったのだが、北部を回っていると石垣が少ない。グスクと言われているところは、だいたいが小さな森と拝所があるだけである。それから、下の写真のように鳥居のある風景がけっこう目立つのだ。

      「伊波グスク入り口の鳥居」

      鳥居なんて神社の風景と思っていたので、ちょっと驚いた。沖縄で神道が普及しているとは聞いたことが無いからだ。ただ琉球統一した尚巴志は、熱心に仏教や神道を導入しようとしたらしいけれど。

      今ある鳥居は、地域の人たちが神聖な場所として敬う気持ちで建てたものだと思うけれど、沖縄の信仰に神道の象徴というべき鳥居が使われているが、だいぶ根本が違うと思う。

      沖縄の人にとっては、グスク、拝所、御嶽などの聖域を作り出すのにちょうど良い建築物だったのかも知れない。そんなにお金もかからないので、鳥居のイメージを拝借して自らの都合に合わせて建ててしまったような気がする。

      一度詳しい研究者に聞いてみたいね。

      でも感心するのは、拝所のある場所はいつもきれいに掃除されていることだ。箒とちり取りが必ずセットになっておいてある。

      琉球古道、若南ビラ

      2009.09.25 Friday

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                      「若南ビラ下付近の宿道」

        はてさて、カメラを携え古い道を歩き回っていると、意外にたくさんの人に出会う。先日は垣花グスクを歩いていたら、仲の良いカップルが一生懸命写真をとっている光景に出会った。近づいて話しかけようとしたら、中国語が聞こえてきたので声をかけるのをやめた。

        何か若い学者夫婦のようでもあった。詳しいことは分からないままだったが、たぶん台湾か中国からきた研究者らしい。沖縄の歴史に興味があるのだろう。なんとなく見ていたら、熱心に拝所等を観察している風だった。

        もちろん、観光客や学者だけではなく普通の暮らしをしている人々にも良く出会う。沖縄の古道は戦争で破壊された道や、再開発で消えてしまった道、畑になった道などいろいろに変化している。

        それだけに歴史を感じさせるのだが、昔と変わらず道ばたの草刈り等しているオジイたちに出会うと、思わずご苦労様と声をかけてしまう。沖縄のコミュニティーがしっかりしているのは、こういう風景からも分かるのだった。

        オジイ、オバァは偉いのである。

        琉球古道、チチャマグスクヘ向かう

        2009.09.23 Wednesday

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          「チチャマグスク付近、名城集落」

          糸満の有料ビーチのひとつ、名城ビーチ近くには二つのグスクがある。チチャマグスクとフェンサグスクと呼ばれている名城グスクである。この二つのグスクの主は兄弟按司ということだった。

          道を一つ隔てて隣り合ってつくられている。グスクとグスクを繋ぐ道が当然残っているので、周辺を歩き回ってみると当時の面影はすでに残っていない。

          でも名城は海辺の集落だから、村の中を歩いていると珊瑚石灰岩を積み上げた古い石垣が少し残っていて、その石垣越しに青い海と空が見え隠れする。とても美しい。

          赤花がこの風景の中に入っていればもう最高だ。どっぷりと沖縄時間に浸ってしまう。

          しかし、グスクがつくられた当時に赤花の風景が同じように見られたのか定かではない。赤花はハイビスカスのことだけれど、沖縄への来歴がはっきりしていないからだ。

          とはいえチチャマグスクに昇れば、小高い丘の上からきれいな海を眺めていた按司たちと同じような視点から名城の風景が楽しめる。このきれいな風景を毎日眺めながら彼らは一体何を感じて暮らしていたのだろう。

          グスク時代は戦国の世でもあったわけだから、攻めたり攻められたりしていたわけだ。生臭い話もたくさんあっただろうけれど、どうもこの亜熱帯ののんびりした風景にはそぐわないように思える。チチャマグスクに祀られている自然石を見ていると、熱心に神に祈りながら暮らしていたんだなぁ。

          毎日こんなきれいな風景が見られるなら神に祈りたくなるよね。

          琉球古道、具志川グスクの謎

          2009.09.22 Tuesday

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            「糸満の具志川グスク」

            絶好の琉球古道史跡巡りの日だった。九月の沖縄の太陽はまだまだ真夏である。エアコンの効いた車から降りると、海岸縁のグスクに特有な潮の匂いがしてきた。身体中から汗が噴き出してくる。

            それでもむき出しの石垣に誘われるようにグスク跡に入って行くと、海からの風が心地よくてほっとした。ここにグスクを築いた先人たちも同じようなことを感じていたかも知れないな。亜熱帯の沖縄では暑さ対策が大事だから、このような岸壁の上に建てて、少しでも涼を求めたのかも。

            じつはこの具志川グスク、沖縄各地に同じ名前のグスクが3つあると言われている。

            一つはここ糸満の喜屋武にある具志川グスク、もう一つは久米島、そしてうるま市にもあるらしい。ところが、うるま市にも喜屋武という地名があるからややこしい。

            その三つに共通しているのが、海辺のグスクだという。

            海に関係する人々が建てたグスクではないかといわれているのだが、当時の久米島は中国との貿易が盛んだったらしく、その関係者のグスクだからという説もある。中国から久米島の具志川グスクに一旦運んだ商品を小分けにして、本島の具志川グスクに運び入れたのでは、ということ根拠にしている。

            まぁ分からなくもないが、島の位置関係からすると本島の東海岸ではなく、西海岸の方が便利だったはずだから、何かもっと別な根拠があるのではと思うね。

            この具志川グスクは発掘調査も行われていて、中国の陶器や磁器も出土しているらしいので、これからの調査報告を楽しみにしているし、修復工事も進行中ということから今後この南部地域の観光はいろんなグスク巡りが面白くなると思う。

            琉球古道、真栄田一里塚付近

            2009.09.20 Sunday

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              「サトウキビ畑に続く琉球古道」

              沖縄の創世記神話にでてくる遺跡に続く道や風景が、まだたくさん残っている沖縄本島の中で、もっとも雄大な自然の風景を感じられるのが、国頭方西海道の一部である真栄田一里塚付近の風景である。

              日没近くにここを歩くと東シナ海に沈む夕日がとても美しい。数百年前、それ以前の人々も同じ風景を見ていたはずだが、そのときはサトウキビ畑は無かっただろう。なんでこの光景をみんな知らないのだ。

              とはいえ、隣には米軍基地のフェンスがある。残念ながら琉球古道を歩いているとこの米軍基地のフェンスがあちこちに出現するのだ。これがまぎれも無い現実である。しかもこの細い道には一部粗大ゴミが捨ててある。

              そんなマイナスイメージもあるが、沖縄に遊びに行ったら、この付近を散歩することをお薦めしたい。車を止めて夕陽を眺めるには絶好のポイントだ。



              琉球古道、首里城から浦添グスクへ

              2009.09.18 Friday

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                「龍譚池」

                琉球古道と名付けて、沖縄の宿道を始めとする古い道を撮影しているけれど、ようやく第一弾のプリントができた。最初はカラープリントでと考えていたが、どうもしっくりこない。

                じつは今回の写真展、初めてデジタルプリントでやろうと考えている。いままでは暗室に入って、氷酢酸と定着液の臭いで咳き込みながらプリントしていたけれど、デジタルならパソコンでピッピッとマウスを押すだけでプリントが出来る。

                ちょっと前までのデジタルプリントはとても写真に太刀打ち出来なかったが、ここにきてプリントの質が急上昇した。ちゃんとしたデータを作れば、アナログプリントに負けないところまで来ている。そのプリントを見て、僕も考えたのである。

                デジタルプリントのモノクロームに挑戦してみることにした。これがとても良い。

                まだ撮影半ばなのだが、心はもう写真展にとんでいる。

                「龍譚池のアヒルたち」

                これでプリントはモノクロームと決め、写真をまとめあげれば写真展ということだが、じつはこの琉球古道というテーマにはとても重要な協力者がいる。前回も紹介したかもしれないけれど、上里隆史さんという琉球史の研究家である。

                11月には東京のシンポジウムに上京すると話していたので、今度は東京でじっくりお話ししたい。その前に今回の沖縄撮影では上里先生と一緒に、首里城から浦添グスクまで歩いてきた。約2時間半の行程だが、これがとても面白い。

                薩摩が襲ってきた道や、魔物を退治したお坊さんを祀った塚などストーリーのある史跡があちこちにある。この道は那覇に行かれたらぜひ歩くことをお薦めする。

                「博物館の壁に・・・」

                首里城から儀保に向かって歩き出すと、すぐ目の前に博物館跡の空き地がひろがる。石垣に囲まれているのだが、この石垣には銃撃戦でできたと思われる穴があちこちにあいている。

                その中の一つに鉄片がめり込んでいるのを見つけたのだが、これって銃弾ではないのかな?

                誰も気にしていないようだけれど、真相知っている人はいないのか。上里先生に聞いたら笑っていたけれど、どうなんだろうね。

                信州中川村、小さな森の音楽会

                2009.09.17 Thursday

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                  「音楽会翌朝の小渋ダムは快晴でした」

                  土砂降りの大雨に見舞われた中川村の小さな森の音楽会。しかし、村の青年たちの手作り音楽会はそんなことには負けなかった。天竜川河川敷の屋外会場を村の文化ホールに急遽変更し、何事も無かったかのように準備を整えていく。さすがである。

                  豊かな自然の中で暮らしている彼らにとって、自然と共存するのは当たり前なのだ。大雨が降れば逆らっても仕方が無い。無駄なことをするより、さっさと会場変えて準備した方が合理的というものだ。

                  「ダム反対の意見が多いけれど、けっこうこの風景は好きだ」

                  さてその準備のかいあって、中川村文化ホールも人が集まりだして、玄関の屋台テントにも客からの注文がひっきりなしに入り賑やかになってきた。結局音楽会終了前に屋台の商品はすべて完売となっていた。青年部の面々も屋台を開いた甲斐があった。まずは良かったね。

                  「音楽会オープニングはサブニュマ」

                  ミュージシャンたちも準備が終わり、いよいよ開演となった。

                  オープニングはアフリカンダンス&ミュージックチームのサブニュマが、ドラムを鳴らしながら入場してきた。僕は初めて見るが、西アフリカのダンスミュージックらしい。会場の中にドラムの音が反響して心地よい。

                  野外音楽会も良いけれど、このくらいの空間の方がアーティストの距離が近くて盛り上がれる気がする。サブニュマというのは何やら笑顔に関係する言葉らしい。たぶん凄い意味があるのだろう。機会があれば教えてもらおう。

                  「地元バンドも頑張った」

                  ローリン・ピースはアコースティックギターがとても良かった。これから頑張って欲しいバンドの一つだ。

                  「Blue Trikeがゲストでした」

                  いつもお世話になっているスパイスレコーズさんの協力で、今回初めてゲストプレーヤーとしてBlue Trikeが出演してくれた。Marikoさんの歌声が会場に流れると、会場にいた子供たちが踊りだした。この光景にはみんなびっくりした。

                  演奏終了後のロビーではBlue TrikeのCDが女子中高生を中心によく売れていた。中川村の曽我村長も買い求めてサインをもらっていた。嬉しそうな顔をしていたので、ちょっとからかいたくなってしまった。

                  「歌詞の内容が好きです」

                  最後のバンドはこの日の為だけに集まったコラボレーションバンド、Y・O・S・Bである。
                  ちなみにこれはオグラヤスハル・スペシャルバンドの略ですね。

                  キーボード・オグラヤスハル、サックス&パーカッション・春名正治、ドラムス・成田昭彦
                  ベース・土井孝幸、ボーカル・ルイスのりこの五名による一夜限りのセッションが行なわれた。

                  「オグラヤスハル氏」

                  「ベース、土井孝幸氏」

                  「ドラムス、成田昭彦氏」

                  「サックス、春名正治氏」

                  さすがに実力派のベテランたちの演奏は聴く価値があった。今年の「小さな森の音楽会」のタイトルがハーベスト・ムーンということから、この日の為に「ハーベスト・ムーン」というオグラヤスハル氏作曲のオリジナル曲も準備されていた。

                  信州の風景にピッタリだと思ったのだが、村のイメージソングにしたらどうでしょうかね。
                  ちょっとお洒落すぎるかな。

                  このようなバンドで音楽会は行われ、終了後はアーティストとスタッフ入り乱れての打ち上げに突入したのだった。

                  ところで、ベースの土井さんの芸は特筆ものだ。ネタが新鮮なうちにまた見たいなぁ。

                  信州中川村の小さな森の音楽会

                  2009.09.15 Tuesday

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                    「音楽会とバスツアー」

                    土砂降りの大雨が天竜川の水かさを増していた。

                    今年もまた、信州中川村で小さな森の音楽会が開催されるのにだ。今年は第2回目ということで、天竜川河川敷公園での野外音楽会になる予定だった。

                    結局、屋外音楽会はあきらめ村の文化ホールで無事開催された。今年は小倉泰治さんの選んだアーティストが4バンドに増えたほか、東京からツアーバスも出た。音楽会の写真は明日にでも紹介するが、その前にバスツアーの話を。

                    「バスでは蕎麦打ち体験も出来た」

                    出演者のBlue Trikeのファンの女性たちも中川村に着く前に蕎麦打ち体験をして、信州の蕎麦文化を肌で感じていた。最初は戸惑っていたようだったが、徐々に慣れてきたのか最後は奇麗な蕎麦に仕上がっていた。

                    「麺棒で伸ばすのも一苦労である」

                    蕎麦を丸く広げた後に四角くするのだが、これがなかなか難しい。先生の扱う棒裁きは簡単そうに見えるが、やってみると思うように棒が転がってくれない。

                    「様々な太さの蕎麦になりました」

                    とうとう最後は先生の力を借りながら蕎麦らしきものになりました。太さがそれぞれ違い見かけは悪いけれど、自分たちでうった蕎麦なので美味しいに違いない。この後の試食が楽しみだ。

                    この時点では窓の外は大雨、これから向かう音楽会の会場が心配になったが、とりあえず蕎麦を食べることに気持ちは集中だ。バスツアーに参加した他の人たちとの、こんなところでのやり取りも意外に楽しいものだ。

                    中学校以来のバスツアーだが、これは新しい発見だった。

                    一泊二日の信州中川村の旅だが、美味しい食材には事欠かない。帰りの昼食は釜飯だった。

                    「懐かしの峠の釜飯」

                    学生時代は軽井沢に遊びに行った帰りに、横川のおぎのやで釜飯を食べたものだ。諏訪にも支店があるとは知らなかった。駐車場にはバスがたくさん並んでいて、相変わらずの人気である。

                    昔は軽く釜飯を平らげていたのに、今回は残さず食べるのが精一杯。なんだかため息が出る。自宅に戻ってもまだお腹一杯だった。

                    これもバスツアーの思い出なのだな。


                    沖縄ビーチ大全、凄いオジイ編

                    2009.09.14 Monday

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                      「備瀬の隣、本部の海」

                      以前にも紹介したことがあるかも知れないが、あちこちで出会った凄いオジイの話です。

                      「オイッ!」「オイッ!」

                      備瀬崎の海岸からエメラルドビーチに沈む夕陽を撮影しようとカメラを構えてる時だ。

                      「オイッ、こっちだ。こっち」

                      後ろの空き地に止めてある、軽トラックの運転席にいる男が声をかけてきた。振り向くとジーッと夕焼けの太陽を眺めている。何か文句でもあるのだろうか。

                      「オイッ、写真は撮れたか」

                      「撮れましたよ。きれいな夕陽でしたね」

                      「そうであるな。今日の夕陽はなかなかよろしい。水平線のところまで、沈む太陽がはっきり見えたからな」

                      ずいぶん詳しそうに夕陽の話をするので興味をそそられた、車のところに行って男の顔を見ると初老のオジィだ。

                      「オジィ、ずいぶん詳しいね」

                      「当たりまえさぁ、毎日ここに夕陽を見に来てるからよ」

                      えっ、毎日夕陽を見に来てるって。そんなオジィがいるとは驚いた。

                      「今日の夕陽は上等。いつもは雲に邪魔されるな。最後が見えないからな」

                      オジィの話では、ぼくは運がよかったらしい。そんなに夕陽好きのオジィなら、きっと一番好きな光景があるに違いない。

                      「伊江島に沈む夕陽が一番上等さ」

                      冬になると太陽の沈むポイントが北西に移動してくる。そうすると、ちょうど伊江島タッチューにかかる夕陽が見える。その時が一番だという。

                      「沖縄一番の夕陽であるな」

                      うれしそうに話をするとオジィはエンジンをかけて去っていった。

                      その時のぼくは、あっけにとられながら走り去る車を見つめていた。こんど来た時はいっしょに伊江島タッチューの夕陽を見たいなぁ。

                       

                      ちなみに、ぼくのお勧めの夕陽ポイントはたくさんあるのだ。たとえば、これまでで一番赤く染まった夕焼けを見たのは、北谷のアラハビーチである。そのときは、周りにいたウチナンチュ達も「アキシャミオー」と感嘆していた。この時の写真はあまりに赤いものだから、画像に手を加えているように見られてしまう。決してそんなことはしていないのだが。

                      数年に一度そのような夕陽が沖縄に出現するそうだ。

                      那覇からほど近い、瀬長島のビーチから見る夕陽も好きなのだ。

                      ここから見える夕陽はケラマ諸島に太陽が沈んでいく。瀬長島はいわゆるデートスポットになっている。仕事を終えたカップルが島の外周道路に車を止め、夕陽を見ながら楽しそうにおしゃべりしている姿が毎日のように見られる。

                      島が空港のすぐそばにあり、風向きによっては真上を飛ぶ飛行機の離着陸光景も見られる。気軽に時間をつぶせるので、昼は営業車のなかで昼寝をしているサラリーマンの姿もちらほら見受けられ、那覇市民憩いの場所でもある。

                      ほかにもあるが、開発により趣が無くなってしまったビーチもある。西表島の月が浜は静かで趣のある大好きなビーチであった。ここに沈む夕陽を見るためにモクマオウの林の中を、落ち葉を踏みながら砂浜まで歩いていくのが楽しいのだった。しかし、残念ながらここは開発されてしまい、取り付け道路がビーチそばにまで作られたので昔のような雰囲気は無くなってしまった。くーっ、惜しい。ビーチには開発反対の看板が立っているのが物悲しい。それでも、夕方になると地元の人が犬を連れて散歩したり、カップルらしき人影があらわれて沈む夕陽をじっと見ている。

                      竹富島の西桟橋のそばにあるナーの浜あたりも夕日を眺める良いスポットだ。この浜の入り口には安里家ユンタに歌われている、悲恋物語の主人公クマカの遺跡があるので、恋人同士には良いロケーションだろう。静寂な風景の中を太陽が西表島や小浜島の島影に沈んでいく姿は感動を覚える。

                      宮古島にも夕陽を見るのにはとても良いビーチがある。ひとつは、砂山ビーチだ。ここは、吹き抜けになった岩山のトンネルに沈む夕陽を眺めることができる。砂浜にある流木に腰を下ろした若い女性が、祈るように洞穴に沈む夕陽を眺めている姿を見かけたりする。宮古島から船で10分ぐらい東へいったところに、大神島がある。最近まで一般の人が上陸することはできなかった。神の降りる場所がある神聖な島だからだ。島には宿泊施設や売店などないので、観光客が気軽に行ける島ではない。しかし、港の近くにタカマという場所があり浜辺がある。ここからは宮古島に沈む夕陽が見られる。

                      「タカマから見る夕陽は上等さ」

                      大神海運に務めるオジイから聞いた。しかし、問題がある。夕陽を見ていると、宮古島行きの最終便に間に合わないのだ。宿泊施設はないので、野宿覚悟で見に行かねばならない。

                      沖縄にはサンセットビーチと名前のついたビーチはいくつかある。そのなかでも一番新しいのが、石垣島の久宇良地区にできたサンセットビーチである。ここは秘密のビーチとして、前から目をつけていたのだが、地元資本の会社がサンセットビーチと名前をつけて、宣伝を始めてしまった。ここのビーチは岩の風景が面白かったり、砂質が良かったり、リーフもきれいだしとなかなか良かったのだ。観光客など全然いなかったので、いつ行ってものんびりできた美しい浜辺だったのである。ここから見える夕陽も絶品だ。東シナ海に雄大な太陽が沈んでいくのを、ビールを飲みながら浜辺に寝転がって眺めているときは、「上等、上等」と一人うなづいている。

                      結局、ぼくも備瀬崎のオジイと同じなのだが、彼らの年季の入った一言にはかなわない。また出会いたいものである。

                      沖縄ビーチ大全、離島編

                      2009.09.11 Friday

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                        「ビーチの側で野球する少年たち」

                        沖縄本島にもたくさんの良いビーチがあるけれど、離島のビーチはまたひと味違う。昨日に続いて、今日は離島のビーチで感じたことを紹介します。

                        離島のビーチ/多良間島

                        白砂の美しさでナンバーワンといえるのは、宮古島の与那覇前浜かも知れない。いや、同じ宮古島の砂山ビーチもきれいだな。白くて細かな砂がさらさらしていて、歩くと気持ちがよい。砂山ビーチなどはふかふかして、くるぶしまで砂に埋まるほどである。宮古諸島のビーチは砂質が白くて細かいのが特徴である。伊良部島も、下地島も、多良間島も美しいビーチに恵まれている。

                        宮古島のパン屋「チェーロ」のオーナー夫妻は

                        「砂山ビーチや、前浜ビーチを見てこっちに引っ越してきたよ」

                        と話しているぐらいだ。沖縄の中にあって、それぐらい美しい海とビーチに恵まれているのが宮古諸島なのである。しかし、その中でも特に印象に残る島が多良間島である。多良間島は出産率が日本一という島でも知られている。まだまだ観光客も少ないので島の中の風景は、とにかくのんびりしている。空港から一軒しかないレンタカーの事務所に連絡する。電話に出たオバァは、

                        「空港の駐車場に鍵の付いている軽自動車があるから、それを使っていいよ」

                        という。支払いをしないまま飛行機で帰る人はいないのだろうか。

                        それとも、そんなことは気にしないのかな。撮影を終えて港近くの事務所を訪ねると、一人のオバァが奥からでてきた。

                        「料金支払いたいけど、ここでいいの」

                        「そうだよ、一日五千円、ガソリン代も入ってるよ」

                        「はいこれ、五千円。オバァところで、乗り逃げ心配ないの」

                        「そんな人はいないよ。はいこれ、おまけあげるよ。黒砂糖。体に良いからね」

                        ぼくが多良間島に行ったときは、ちょうど旧の桃の節句にあたる大潮の日だった。珊瑚礁が現れた海岸では、たくさんの人が珊瑚の上を歩いてアワビやサザエなどの貝を拾い、ウエットスーツを着た人は島ダコを狙っていた。この日は「浜降り祭」という女の子のお祭りなのだった。女の子は海岸に降りて海のものをとって食べると、一年間病気をしないという言い伝えがあるらしい。レンタカー屋のオバォもこれから孫たちとビーチパーティに出かけるとうれしそうに話してた。島中がとても楽しみにしているようである。

                        ビーチを撮影するので駐車できる場所を探していたら、軽トラックがあわてて入ってきた。何事かと驚いたのだが、一人の若者がくるまから降り、急いで砂山に上って沖の方を見つめはじめた。何かあるのだろうか。

                        「だからよぉ。潮の具合を見てるさ。潮が引いてきたら、午後から仕事休んで魚を獲りに行くさぁ」

                        この浜が彼の得意なポイントらしい。

                        「隣の島影がくっきり見えると、次の日は天気が悪くなるさ」

                        「台風でビーチの砂はいつも移動するのよ。海に持ってかれたり、丘に戻ったりだ。この前の台風はだいぶ砂を海に持ってったさ」

                        いろいろ教えてもらった。

                        「次の台風でまた砂は戻ってくるさ」

                        と笑っている。自然には逆らわない。海を敬い、共存することが大事なのだ。

                        この多良間島のビーチは、砂質がとても良いことと、どの浜にも昔の呼び名がついているのが特徴である。浜の入り口には丸太を削って作った簡単なネームプレートがある。それには、スシュキバマトゥブリ、とか・・・トゥブリと書いてある。昔の集落から浜にでて漁のポイントへ続く道を知らせる呼び名のことだ。その浜ではタコが捕れるとか、向こうの浜では貝が採れるとかの情報を共有するには、名前があった方が確かに便利である。昔の生活にも興味引かれるが、昔の呼び名を残す島のやり方には大賛成である。ずっと残してもらいたいものだ。

                        トゥブリとは、・・の方へという意味の多良間島の方言である。

                         

                        石垣島のプチバブル

                        石垣島は最近特に人気が高く、八月や九月はホテルの予約が取れないこともあるぐらい観光客が押し寄せている。だいぶ都市化された沖縄本島よりも、まだまだ古い沖縄の風景が残る石垣島に魅力を感じる観光客の気持ちも判らないではない。他の離島に比べて、ここには山と海と両方の風景がある。これも人気の一つであろう。

                        石垣島のビーチを、写真を撮りながら歩いているときはいろいろ不思議な人に出会う。防風林の中を声を上げながら何かを追い回す二人組。海岸の貝を拾い集めて歩いている人たちが何人もいる。もちろん売るためだ。商売になるのだと言う。海辺の岩場に張り付いて、海草を採っているオジィやオバォはそれこそ何十人もいる。御嶽を掃除する老夫婦等々。年配の方から、ときどき声をかけられたりすることもある。

                        「写真撮影ですか。どちらから来たんですか」

                        東京からと答えると、

                        「自分も住んでたことありますよ」

                        懐かしそうに昔話を始める。だいたい声をかけてくるのは、本土で働いた経験のある人が多いようだ。彼らから得る情報も多く、面白いので時間の許す限り話を聞くことにしている。

                        たぶん彼らもぼくを見て変な奴だと思っていたに違いない。それで声をかけられるのかも知れないな。

                        ところで、彼らの話しでは、石垣島は東側の海岸と西側の海岸では潮の流れが違うので、もし泳ぐ目的でビーチに行きたいなら西側の海岸の方が安全で、海の色もきれいなのでお勧めだ。しかし、東側は海の色も良くないうえに、潮の流れがはやく要注意とのことだった。

                        さて、石垣島の人気の秘密はもうひとつある。離島桟橋から八重山の各離島へ船が出ているので石垣にいれば、たとえ飽きてもすぐ次の島に遊びにいけるのだ。そんなこともあり、現在の石垣島は他県からの移住者が急増している。特に東北、北海道からの移住者は温暖な気候に憧れているのか、ことのほか多い。その数は五千人とも六千人とも言われている。ミニバブルが起きているのは島の不動産である。賃貸物件つまり、貸家やアパートが不足している。同様に土地の売買も売り手市場になっている。ただでさえ島の宅地は農振法がかぶせられているために少ない。くわえて、八年後に開港予定の新空港には、東京からの直行便がやってくるという期待が先行した。そこに移住者の求める宅地やアパートも必要になったのである。県道沿いの坪4、5万円ぐらいの土地が坪6万円に上がるのはアッという間だった。

                        特に人気があるのは川平湾の近くの集落である。目の前に海がひらけ、後ろには山もある。実に石垣島らしい風景の場所だ。ここには移住者達が集まってきており、いろいろなカフェやレストランがオープンし、人気のスポットになりつつある。この地区を担当している不動産会社の営業マンは月給が歩合ということもあり、二百万円をこえる時もあると豪語していた。

                        その一方で、地元の人達は仕事のない石垣島を離れていく。昔から伝わってきた行事や祭事が人手不足のため開けなくなったという話も出はじめている。石垣島は伝統行事が多いことで知られる島なので寂しい限りだ。

                        ビーチで遊ぶのも楽しいものだが、石垣島に来たらぜひお進めしたいものがある。じつは船遊びなのだ。石垣島周辺は小さな島がたくさんあり、加えて珊瑚礁もあるため比較的穏やかな波の場合が多く、優秀な釣りガイドの船で美しいコーラルグリーンの海を眺めながら釣り糸をたれるのは素晴らしく爽快である。釣れた熱帯魚はもちろんリリース。釣りに飽きたら、船の上でのんびりするのもよし、珊瑚の上で泳ぐのもまた良しである。亜熱帯の太陽を全身にうけながら、南島の時間を思う存分堪能できることは間違いない。

                        さて、沖縄では夜の酒場を外すわけにはいかないのである。石垣島では美崎町を抜きには語れない。離島唯一の比較的規模の大きな歓楽街があるからだ。場所は石垣市の離島桟橋から市役所に向かって歩いて5、6分のところにある。こちらでは最終電車など無いので、時間を気にせず飲む人が大半である。東京だと、10時を過ぎたら帰る心配をしなければならないが、ここではそれからがお店の書入れ時になるのだ。飲み代も安いこともあり、居酒屋はファミレスの感覚で利用されている。子供連れの夫婦などちっとも珍しくはない。椅子よりも畳の方が人気なのも沖縄である。ちなみに、最近増えてきたのが、カフェバーである。観光客が増えてきたこともあるのだろう。若い移住者が経営している場合が多く、おしゃれな内装の店やアジアン風の店などさまざまなスタイルのバーが集まっている。

                        そこに集まる人々との出会いもまた楽しみの一つなのだ。

                        沖縄ビーチ大全、はじめに。

                        2009.09.10 Thursday

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                          「百名ビーチへ」

                          琉球古道の撮影をしながら沖縄中を歩いていると必ず海に行き当たる。昔から海とウチナンチュの暮らしは切り離せなかった。古い人骨の研究家は、足の骨格が海辺での作業で変形していることを発見したそうだ。

                          そんな沖縄のビーチを巡り歩いた時の話を紹介したい。

                          「はじめに」
                           
                           沖縄にいったいどれくらいの数のビーチがあるんだろうか?  離島をわたり歩きながら、ビーチの撮影をしているぼくは、いつも疑問に思うのだ。 しかし、誰にも正確なところは分からないのではないだろうか。ほとんどのビーチを撮影したぼくでも、無人島や不便な離島などにはまだ行ってないビーチがある。 また、沖縄のビーチは数がたくさんあるだけではなくて、それぞれに特徴があるのも面白い。八重山諸島と宮古諸島とケラマ諸島もちろん沖縄本島、それぞれの島で潮流や潮の干満などでビーチの様子も違ってくる。楽しく遊べるビーチもあれば、危険なビーチもある。美しいビーチがある一方、ゴミだらけのビーチもある。ビーチから見えてくる沖縄も興味深いものがある。またビーチを巡っていると様々な人々との出会いもある。

                             イチャンダビーチ

                          「オバァ、このビーチの名前分かる?」

                          「なんと言ったかねぇ、誰かに聞いたら分かると思うんだけどねぇ」

                          「すみません、オジィこのビーチの名前分かる」

                          「わからん」

                           沖縄に来て時間がある時はビーチを探して歩いている。ちょっと町を外れると、誰もいないくて小さいきれいなビーチに出会うことがある。そんなビーチを見つけるのが楽しみのひとつになっている。けれど、写真に収めてからビーチの名前をメモしようと、近くの家を訪ねて名前を聞いても、たいていの場合は上の会話のようになってしまう。

                           地図に載っている大きなビーチには名前がついているけれど、沖縄には名前の分からない小さなビーチがたくさんある。地図にも載ってない小さくて、ほとんど整備されていない、地元の人しか遊びに行かないような岩のゴロゴロしている、自然のままのビーチのことをイチャンダビーチと呼んでいる。沖縄の方言でイチャンダとは、自然のままとか施設が無いとか名前が無いとかの意味で使われている言葉だ。それで、未整備の浜辺の総称としてイチャンダビーチと呼んでいるのだ。でもそんなビーチの中に、リゾートビーチでは味わえない、素晴らしい経験のできるビーチがあったりするのである。

                           沖縄本島の北部、東村には僕の好きなイチャンダビーチの一つがある。スクバマという。有銘湾に面した三日月型の砂浜である。砂質は細かくてきれいである。色は薄い茶色だが、量も豊富で、ビーチの上を歩くとふかふかする感じがして気持ちがよい。この感覚は好きだ。道路からちょっと入ったところにあるので、静かである。ほとんど風の音と、波の音しか聞こえない。ときどき鳥のさえずりが聞こえる。ビーチは南向きなので、サングラスは欠かせない。クーラーボックスに氷と飲み物を入れ、ビーチチェアとパラソルを用意して、誰にも邪魔されず一日中読書や音楽を楽しむ、絶好のビーチがイチャンダビーチなのである。

                           秘境と言われる西表島はイチャンダビーチの宝庫なのだ。島の7割を占める原生林の中を歩いて行かなければたどり着けないビーチも数多くある。そんなところでも船をチャーターすれば、連れて行ってもらえる。その中でもぼくの一番のお気に入りは、鹿川湾の奥にあるビーチだ。

                          まさに亜熱帯のジャングルに囲まれた美しいビーチである。もちろん砂浜には人の足跡など着いてない。水と食料を用意してキャンプも良し、日帰りの浜遊びもまた良し。誰も邪魔をするものはいないのだから。イチャンダビーチの醍醐味である。

                           

                          お座敷ビーチ

                           イチャンダビーチの中でも特に小さなビーチ、それをぼくは勝手にお座敷ビーチと呼んでいる。例えば、波照間島に名前の分からない小さなビーチが空港の近くにある。アダンの林を抜けていくとあらわれる、珊瑚の岩場に囲まれた本当に小さな砂浜、ビーチと呼ぶには確かに抵抗があるかも分からない。そんな砂浜に腰を下ろして海を眺めていると、妙に気持ちが落ち着くのだ。この感覚は学生時代の四畳半の部屋の快適さに似ている。必要なものはすべて手の届く範囲にある。大き過ぎず、小さ過ぎずぴったりのサイズ。誰も自分の領域には入れない安心感がとても心地よい。多分カップルでいちゃいちゃするのに、こんなに適したビーチはなかなか無いと思う。

                           

                          愛のビーチ

                          「クラゲのネットが見えないけど、大丈夫なの?」

                          「ここにはハブクラゲいないから、安心して遊べるよ」

                           沖縄本島からフェリーで2時間ほどのケラマの海には、ハブクラゲが現れないのだという。そういうことで、渡嘉敷島や阿嘉島や座間味島のビーチは安心して海の中で遊べるビーチである。砂質は多少荒いものの、白く美しい砂浜の広がるビーチが多い。特に渡嘉敷島の阿波連ビーチと、トカシクビーチは、カップルにもファミリーにもお勧めだ。ニモでおなじみのクマノミが6種類も見られるし、運が良ければ大きなウミガメも悠々と泳いでいる姿を現すこともある。透明度も高く、海の色もびっくりするほど美しいコーラルグリーンである。こんな海が日本にもあるんだなぁ。わざわざ外国まで行かなくっても、素晴らしい南島の海を楽しめるんだよ。

                          「マリリンに会いたい」という映画をご存知の方はよく知っていると思うが、阿嘉島からマリリンの住む座間味島まで泳いで海を渡り、会いにやって来るシロという名の犬の話を聞いたことがありませんか。そのラブストーリーの舞台になった島々なのである。南の島の愛の物語に刺激を受けた訳ではないと思うが、那覇から近い無人島には、結婚式のできる島もある。珊瑚礁に囲まれた砂浜だけの島に十字架の飾られた簡単な祭壇があり、その前で二人が宣誓するというものである。美しい海に囲まれた雄大な自然の中で愛を誓うのは、それなりにドラマティックなものであるのでしょう。

                          これらの島には、那覇の泊港からそれぞれの島に向かう船がでている。泊港の通称は「とまりん」。外国からの船や貨物船や本土からのフェリーが到着するのは、那覇港なので間違えないようにしなければならない。


                          自販機は偉い。

                          2009.09.07 Monday

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                            「座喜味城裏の自販機」

                            いやー、沖縄は暑い。夏だからどこも暑いのだろうけれど、日差しがこの島は特別だ。今日は首里城から識名園までの古道を歩いたが、たった一時間なのに、全身から汗が噴き出した。こんなときはいつでも冷たいドリンクの出てくる自販機が見つかると心強い。

                            ポケットからコインをつかみ出して投げ込む、好みのドリンクのボタンを押して、ガッタンとペットボトルが落ちてくる。身体が水分を欲求しているので、蓋を開けるのももどかしく冷たいドリンクを喉に流し込む。

                            ふーっ、生き返ります。

                            この時期に沖縄歩くのは自殺行為に近いものがあるかも知れない・・・。けれどグスクから伸びるあちこちの古道を歩いていると、コーラルグリーンの海とサトウキビ畑、青空と鮮やかな赤花などの風景に出会えるので、暑さをこらえて歩いてしまうわけだ。夏だからこその色があるからね。

                            歩き廻る僕には、ほんとに自販機様々である。まるで砂漠の中のオアシスのようだ。

                            今回の古道巡りは今日でおしまいだけれど、また来月あたりに挑戦したいと思っている。
                            今度は友人を誘ってみようかな。歩くのが嫌いな人には無理だけれど・・・。