琉球古道、御嶽の風景
2009.10.31 Saturday
「馬天御嶽」
琉球古道写真展が諸事情から来年に延期されることになった。
11月末に首里で、と思っていたが準備が間に合わなくなったので仕方がない。
さらに良い写真を撮影して写真展に備えることにしよう。
ところで、写真展はデジタルプリントで行なうのだが、そのままプリントししてもつまらない。そこでモノクロームに変換した写真をバフン紙にトナーで印刷することにした。
試してみたら、これが面白い効果を引き出した。
100年前のグラビュール印刷のようなプリントが出来たのである。グラビュール印刷と言っても知らない人も多いだろう。古書に印刷されている写真を思い出してもらえれば、その雰囲気が分かってもらえるかもしれない。
周辺がボケた細密画のような写真とでもいうか、独特の質感がある。
確かアメリカに一社だけ今でもグラビュール印刷でプリントしてくれる会社が存在していたと思うけれど、デジタルになるとアイディア次第で同じようなプリントが作れるのでけっこう楽しい。
植物園と夕陽と走る少年
2009.10.28 Wednesday
「網曵坂の夕陽」
某女優さんとかみさんがランチに出かけたので、一人パソコンで仕事をしていた。モニターを見つめていたらすっかり飽きてしまったので、気分転換に散歩へ出かけることにした。
いつものコースの中から、今日は小石川植物園に決めて歩くことにする。
別に理由は無いのだが、塀に囲まれた植物園の風景が何も感じさせないので、かえって落ち着くこともあるような気がしたからだ。集中力が無い時はこれが効くのだ。
さて植物園近くまで来たら、少年サッカーチームの選手たちがランニングしていた。青いユニフォームに大きな白い背番号が上下動しながら坂道を駆け上がっている。僕も坂道を急ぎ足で歩いてみる。後ろからハァハァ言いながら追い抜いて行った少年の背番号は26番だった。
番号から想像するとまだ補欠だね。
それでも頑張って前の選手に追いつこうとしていた。サッカーにはその負けん気が重要だ。
ここで追いつければいずれレギュラーをとれるだろう。頑張れ少年!
つい自分の若い頃を思い出してしまう。僕も同じように毎日走っていた。
彼らの後ろ姿を追いながら歩いていたら、網曵坂のところで夕焼けが見えた。沈み際の太陽は美しい。
走る少年たちに元気をもらい、夕陽に励まされた今日の散歩、なんだか大儲けしたような気分で部屋に戻ることが出来た。ラッキーだね。
コードギアスの声優さん
2009.10.27 Tuesday
「窓辺のスパティフィルム」
コードギアスでルルーシュ役の福山さん、スザク役の櫻井さんを渋谷のハウススタジオで撮影した。撮影を終わって外に出たら雨が降り始めていた。土曜日のことですね。
昨日まで、はっきりしない天気で気分は滅入ってましたが、日曜、月曜と撮影したデータをコツコツと机の前で加工していたので、ドシャドシャ降り続ける雨もそれほど気にせずにすみました。
残念ながらここで写真はお見せ出来ませんが、かなり良い感じの写真に仕上がっています。
この写真は12月5日に東京国際フォーラムで行なわれる反逆のルルーシュ、キセキの誕生日イベントで販売される公式パンフレットで見ることが出来ます。お二人の対談も収録されているので、ファンにはたまらない一冊になっていますよ。
さて、すべてのデータを処理し終わりDVDに焼き付け、ホッとしたら窓辺のスパティフィルムが目に入ってきて、花が咲いているのに気づいた。光のあたり方が良い感じだから写真に撮ってみた。
そういえばこの植物はいつからここにあるのだろう。
毎年花が咲いていたように思っていたが、いつからあるのか思い出せない。20年は経っているような気がする。昨日の晩ご飯も思い出せなくてショックを受けたが、毎日見ている植物がいつからあるのか分からないというのも・・・なんだかなぁ。
久しぶりに自販機の風景
2009.10.26 Monday
「小日向付近」
先週末は久しぶりに小日向あたりを散歩しようと思い、茗荷谷駅からぶらぶら歩き始めた。民主党が圧勝して鳩山首相が誕生したこともあり、小日向は鳩山会館が人気だろうと思ったので、鳩山会館を目指すことにした。
そういえばテレビのワイドショーで、はとバスが鳩山ツアーを組んでいて、けっこう人気になっているという話題を取り上げていたな。
鳩山だからはとバスなんだ。ひょっとしたら、会館ではと饅頭等も売っているのかしら。
それはそれとして、良い天気だったので歩いていても気持ち良かった。拓殖大学の裏手に回ると、昔ながらの路地にこじんまりとした商店の並ぶ場所に出た。上の写真がその風景だが、妙に懐かしい風景だった。
どうしてだろうと思って写真に撮っていて気が付いた。
故郷の風景に似ているのだ。北関東の小都市の町中はこんな感じの風景だった。先月父の墓参りに行ってきたが、何年経っても故郷は町並みの変化が少ない。商店街はシャッター通りになりかかっているから、新しく投資して店を作ろうという心意気は、どこにも感じられないものね。
圧勝した民主党党首の生家周辺もどこか田舎の雰囲気を残しているなんて笑える。このままだと日本中不景気でシャッター通りになりそうなので、鳩山さんにはなんとか頑張って欲しいものだね。
この日は人通りの少ない路地で佇む自販機がやけに存在感があった。
琉球古道、野國總管??
2009.10.23 Friday
「野國總管宮」
いやぁ、とても立派な御宮でした。
写真の御宮が野國總管を祀っているところなのです。ところで、野國總管って何?、誰?って
思いますよね。ぼくもなんでこんなに立派な御宮なのだろうと不思議に思いました。
まず場所は嘉手納基地の近くにあります。嘉手納小・中学校の敷地横です。学校目指して行けばすぐ分かる。
さて、野國總管とは王朝時代に明から芋を持ち帰った人なのである。しかし、肝心の名前は分かっていないそうだ。野國總管とは名前ではなく、野國村(現在の嘉手納町)の總管職だった人であることから野國總管と呼ばれている。
芋は当時の琉球にとってとても大事な食料となった。その後薩摩に伝わり、サツマイモとして僕たちは美味しく食べているが、その大元がこの御宮だった、というわけだ。
作物不作や飢饉の時にサツマイモが命を救ったという話はよくあった。だからこそ御宮が出来て皆がお参りして感謝しているわけですね。僕もパンパンと手を叩いて一礼してきましたよ。昔のおやつはサツマイモだったしね。
琉球古道、フェーレー岩付近
2009.10.22 Thursday
「フェーレー岩付近」
あれがフェーレー岩だよ、と言われても俄にピンと来ないのであった。なぜならフェーレーの意味を知らないからだ。
フェーレーとは盗人のウチナーグチだそうだ。
「左側の岩がフェーレー岩」
上の写真がそのフェーレー岩なのだが、なぜ盗人岩という名前を付けられたのか、その理由を案内してくれたAさんが笑いながら説明してくれた。
琉球王朝時代、国頭方西街道を歩いている旅人をねらって、岩の上に潜んでいる盗人が荷物を釣り上げて盗んだことからフェーレー岩と呼ぶようになったらしい。
いまではサトウキビ畑の中を歩く道としてのんびり歩けるが、4、500年前は狭い山道で人通りも少なかったろうから、山賊が跋扈していても不思議ではない。当時の人々は頭の上に駕篭をのせて荷物を運んでいたので、岩の上から荷物を釣り上げて盗むことが出来た。
いまでもオバァたちは頭に駕篭をのせて歩いている。一度だけ、一升瓶を頭にのせてカチャーシーを踊るオバァを見たが、その技を見て唖然としてしまった。話を聞いたら、こんなことは誰でも出来るさぁー、と涼しい顔をしていた。
フェーレー岩の伝説は確かなことのように思えた。
「琉球古道を歩く旅をやります」
琉球古道写真展とツアー
2009.10.21 Wednesday
「薮地島のジャネー洞にて」
なんと、数々の沖縄の史跡を巡り歩き撮影してきたことが、12月にエアー沖縄の協力でツアー企画になりました。同時に首里で「琉球古道」写真展も予定しました。こちらは詳細が決まり次第ブログにアップします。
撮影しながら感じていたのは、沖縄にはこんな面白いところがあるのに、何故誰も来ないのだろう、ということです。でも考えてみれば当たり前かもしれない。30年以上沖縄を撮影していた僕だって知ったのは一年前だものね。
そんなことを旅行社の方に話したら、一緒に歩いてみたいと言ってくれた。
で、今年の夏に中頭と国頭方西街道の一部を、琉球史研究者の上里隆史先生も加わり歩いたわけです。でも、けっして戦跡巡りではありません。念のため。
コースは首里城から浦添グスクまでと、山田グスクから座喜味グスクへの古道でした。これが変化に富んでいて、実に沖縄らしい風景を見せてくれる道なのだ。とにかく上里先生の解説は、僕らが知らないことを丁寧に教えてくれるので、あっという間に時間が過ぎて行く。
こんなに面白いのなら、ツアーにしようということで企画が決まったわけです。
興味のある方は、ぜひチェックしてみて下さい。上里先生と一緒に歩くのはとても楽しいですよ。
「サトウキビ畑の中の国頭方西海道」
上の写真は山田グスクから真栄田一里塚に向かって歩くと見えてくるサトウキビ畑の道だ。
ここは、夕暮れ時に歩くと夕陽が東シナ海に沈む美しい風景が見える。数百年前の人々も同じ風景を見ながら歩いていただろう。しかし、美しい沖縄の風景も現実は厳しい。
だって、この写真を撮っている僕の後ろには、米軍基地の弾薬庫のフェンスが張り巡らされている。昔の人々もこんな現実は想像だにしていなかっただろう。でもそんなことを含めて、今の沖縄と昔の沖縄を同時に見られるのだから、いろいろなことを感じるツアーになっている。
上里先生のお話しで、琉球王朝時代の暮らしが目に浮かぶのだ。
琉球古道、敬う精神
2009.10.12 Monday
「具志川グスクの拝所」
沖縄にある300か所以上の遺跡を巡り歩いて写真を撮っているけれど、本当に驚くのは数百年も前の遺跡なのに、いまだに聖なる場所として大事にされているところである。
僕が行くときなんてふらりと出かけるわけだから、どんな状態になっているか分からない。だから、人の手の入っていない自然任せの遺跡になっている、と思うのだが沖縄ではそうでもない。
誰かがちゃんと管理しているのだ。
沖縄の遺跡で怖いところは、毒蛇のハブが潜んでいるブッシュや岩場である。ぼくも2度ほど遭遇したが、もし雑草等の下草が刈られていない場所だったら絶対に入りたくない。間違ってハブでも踏みつけたら大変だ。
でも、ほとんどの遺跡は手入れされているのでなんとか入って行ける。誰が掃除しているのか分からないけれどヒントはある。拝所に置かれている石標だ。
「名護グスクの拝所」
この拝所のように門中(ムンチュー)が書かれている場合は、その縁者が管理しているのであろう。それにしても、関係ない人は拝むなというのだから血縁関係の絆の強さがしのばれる拝所である。
一番上の写真の石標には久米門中の文字が書かれていた。久米さんたちに関係している場所なんでしょうね。一体どんな人たちがどのような思いでここに現れるのか見てみたい。
沖縄の千年も前の遺跡がいまだに場所がはっきり特定され、縁者によって敬われているのは
驚く。祖先を大事にする沖縄ならではの慣習だと思うが、今の日本の社会には必要なことの一つのような気がしている。
琉球古道、オバァの指定席?
2009.10.10 Saturday
「トゥーロガマ」
島の生活にとって海と陸の境目は大きな意味がある。沖縄の言い伝えには、島が地震で沈んだり、浮かんだりした話もあるらしい。僕自身が聞いてはいないので、らしいとしか言いようが無いけれど、沖縄の史跡の中には海と陸の境目だった場所といわれているものがある。
この奇妙な自然石の置いてある史跡もその一つである。場所は沖縄市だが、かつては海辺だったらしい。男女の逢い引きの場所としてロマンティックな言い伝えが残っているということである。
機会があればその言い伝えも教えてもらいたいと思うが、今では「カマド専用」と書かれた白いプラスティックのイスが置いてある。
おそらく、近所のカマドオバァの良いユンタク場所になっているのだろう。
それにしても奇妙な石だ。沖縄中部地域はビジュル信仰といって、自然石を祀っている拝所がたくさんある。自然に形成された奇妙な石に自然の神秘を感じて敬ったのだろう。
海と陸の境目に石を置いて敬うというのも実に沖縄らしい、と思った。
琉球古道、ヤハラヅカサ
2009.10.07 Wednesday
「ヤハラヅカサ石碑」
沖縄には神々の国から来た人々の石碑が残っている、と言ったらみんなびっくりするに違いない。ニライカナイから来たアマミキヨというウチナンチュのご先祖たちの碑だという。
「そんなことが分かるのか?」と疑問に思う人もたくさんいるだろう。
ところが、上の写真はその石碑なのである。「ヤハラヅカサ」という。
場所は南城市の百名ビーチにある。目の前には浜川御嶽、沖縄で稲作が初めて行なわれたと言う受水走水もすぐそばにあり、霊域として地域の人からも大事にされている海岸となっていた。沖縄は文字を持たない文化だったので、口承伝承で伝わったらしい。
この南部一帯は古いグスクがたくさん残っていて、世界遺産にはなっていないけれど、琉球・沖縄史にとってはたいへん重要な地域なのだ。海に面した道をテクテク歩きながら、沖縄独特の風景のなかに溶け込みながら歴史を感じられる場所となっている。
北部のヤンバルの森の中を歩くのとはまた違った南部の歴史を見ながら、当時に思いを馳せるのも一興なのである。
野球小僧
2009.10.06 Tuesday
「名護市の野球小僧たち」
炎天下の赤土のグランドで、少年たちが野球をしていた。
名護湾に面したグランドで、きれいな青い海から風が吹いてくるので気温はそんなに上がりはしない。しかし、陽射しは凄まじい。高校時代のサッカー部の真夏の練習を思い出してしまった。
彼らが真っ黒になって野球をしているのを眺めていると、コーチャーズボックスにはドリンクを置いている。いくら元気な身体とはいえ、水分を補給しなかったら辛いだろう。
もちろん僕は真夏の練習がいかに苦しいものか良く解っている。でも時代が違うので、今は子供たちも水分補給が自由に出来るようだ。僕らの時代は水を飲むと疲れるから飲まない、という練習だった。
あの時はどれだけ水が飲みたくても、我慢した。上級生に怒られて居残り特訓させられたことも度々あったなぁ。
「琉球古道」の撮影中に見かけた光景だが、つい昔を思い出してガンバレーと心の中で応援してしまったのだ。