琉球古道、沖縄市の奉安殿
2009.11.29 Sunday
琉球古道をテーマに写真を撮っているが、なかには所謂戦争遺跡のような史跡を案内されたりすることもある。琉球王朝にまつわる建物や場所を探しているのだが、沖縄の人々には戦争の記憶が強烈に焼き付いているのだから仕方がない。
こちらとしては「この建物は時代が違うので撮影しない」、なんてことは案内してもらっているので断れない。
そんな戦争遺跡のなかにへぇーっと思ったものがある。
それが写真の沖縄市美里児童公園にある「奉安殿」だ。
「奉安殿とは何ぞや?」
全く僕は知らなかったのだが、天皇皇后の御真影と教育勅語を保管していた建物のことだ。おもに各地の小学校に建てられていたが、戦争に負けてGHQが取り壊しを命じたので、戦後生まれの僕たちは知らなかった。
何でも耐震耐火の強固な建物で、災害等何かあったら校長が持って逃げることになっていたらしい。当時は日本中で当たり前のように行なわれていたそうだ。
現在の世相からはとても考えられないことだ。
当時の政府の命令で建てられたのだろうが、よく残っているものだと感心した。沖縄ではここと石垣島に残っているのだとか。沖縄に迷惑かけ通しのヤマトの建物なんて、真っ先に壊されても不思議はないのにきれいに保存されていてびっくりだった。
あ~あ、狂い咲きか!?
2009.11.28 Saturday
あれーっ!!
茗荷谷の播磨坂を歩いていたら桜が咲いているのを見つけた。まだ11月なのに、一体どうなっているのか。
近づいてみると一杯咲いている。
頭に浮かんだ言葉が「狂い咲き」・・・・。
勘違いして咲いてしまった悲しい桜。
何を勘違いしてしまったのかは分からないな。
そういえばこの桜の木、2年前にも他の木よりも早く咲いていたような気がする。
この桜はこの後満開になるのだろうか。
坂下の方にも同じような種類の桜があったはずだ、明日にでも見に行ってみよう。
ちなみにこの桜の種類は下の写真です。
あれっ、ジュウガツザクラの交雑種と書いてある。
これは年に2度咲く種類の桜ですね。
僕の勘違いでした。
第五回中川村アップルカップ、後編
2009.11.25 Wednesday
アップルカップ後編です。
結局少林サッカーズは二敗一分けという成績で予選リーグの最下位に沈みました。
写真は呆然とするキーパーのツー兄さん。しかし、夜の懇親会では大活躍でした。
早々に敗退が決まったため、チームの皆で大鹿村の温泉に行くことにした。日帰り入浴の出来る赤石荘という温泉だ。疲れた身体と心を温めてくれるはずだ。
温泉で温まり、懇親会で盛り上がった翌日早朝、なぜかエアコンは冷房になっていた。一晩中ガンガンエアコンが動いていたのが不思議だったが、全員無事に目覚めた。これで風邪でも引いたら大変だった。
日曜日は近くの農園でりんご狩りを楽しんだ。少林のストライカー、ナッシュもりんごを手ににんまり。ただし、彼のもぎ取ったりんごを農家の人が見て一言、「それは美味しくないぞ」だって。
朴先生もりんご狩りは初めてらしい。とても楽しそうだった。
りんご農家の待合室でコーヒーが用意されていた。サービスかと思ったらしっかり300円取られた。ところで、今年世話になったりんご農園は今ひとつである。
1キロ400円とそれなりの値段なのに、実割れしているりんごや傷のあるりんごも同じ値段で売ろうとしていた。ぼくが注意しなければそのまま黙っていたかも知れない。
自分でりんご選ぶ時は注意して選ばないとね。
後で聞いた話だが、今年のりんごは出来が悪いとのことだった。商品にならないりんごが半分ほど出た農園もあるそうだ。農園も大変だ。
りんご狩りの後は、直売所で手に入れた新鮮野菜を車に積んで、中央道の渋滞を避けるため早めに村を出発してアップルカップの旅は終わった。
来年は五月に東京府中で第六回アップルカップを開催予定です。試合後は懇親会も開かれます。参加希望チームや詳細情報の欲しい方はメールで連絡下さい。
この項終了。
第五回中川村アップルカップ、中編
2009.11.24 Tuesday
前回からの続きです。
1試合目は優勝候補のチームと若者チームだった。ぼくらは彼らの実力をじっくり観察出来る2試合目だ。ちょっと有利かな。
紫のユニフォームのチームは日頃から練習しているらしく、パス回しも上手だったが、付け入る隙はあるように見えた。点差が開くと彼らは小学生を投入した。村人に聞くと優勝候補の筆頭だという。燃えるなぁ。
さぁ、次はいよいよ我がチームのキックオフの時間だ。
少林サッカーズのAコートは4チーム総当たりのリーグ戦である。ワールドカップの日本代表のように一勝一敗一分けで予選リーグは突破出来そうだ。
僕らのチームは年はとっているが、身体の大きな選手が多い。スターターは180cm以上の選手を並べて相手を威圧する作戦に出た。上手く行くかどうかは分からないが、数少ない少林チームの必勝法である。相手がビビってくれればしめたものだ。
相手チームには申し訳ないが、すっかりチーム名を忘れてしまった。
しかし、コーナーキッキからオウンゴールで先制点を挙げ、作戦は上手くいったかに見えた。
キーパーも積極的にプレーする。
キャプテンも頑張る。
朴先生も頑張った。
しかし、先制点を挙げられ余裕を持った相手チームはぼくらにも小学生を投入してきた。大きな身体でヒビらせる作戦はまったく効果はなかった。結局1試合目は逆転負け、2試合目も完敗だった。
近頃の子供はとても上手だ。僕らの時代では考えられないようなプレーをする。
ゴール前に張られると子供だと思って油断をするので、度々ピンチを招いてしまった。
キーパーのファインプレーがなければ目も当てられない負け方をしていたかもしれない。
結局2敗1分けという成績で予選リーグは敗退になった。年々若手との体力差が顕著になってきて勝つのが難しい。少林サッカーズも生きの良い若手をリクルートしなければならない。
「雄大なアルプスを背景にプレー」
試合には負けたが、天竜川とアルプスの山麓に囲まれた中川村は「日本で最も美しい村」に登録されただけあって美しい山村風景が、皆の心を癒してくれる。この日の夜中、まさに降ってくるような満天の星空がひろがり、酔った頭も驚きで一杯になった。
後編に続く
第五回中川村アップルカップ、前編
2009.11.23 Monday
今年も長野県中川村でフットサル大会が開催されたので、僕たち少林サッカーズも中央高速を飛ばして参加してきた。
この中川村アップルカップは、中川村の若者たちとの交流から始まり、今年でもう第五回目を向かえることになった大会だ。参加チームは全部で8チーム、東京からは少林サッカーズだけとなったが、近隣の村からの参加が年々増えてきたので、レベルが上がっている。
なので、昨年あたりから僕たちオジサンチームはなかなか勝てなくなってきた。とはいえ、親善大会なので試合後の懇親会が一番の楽しみということもあり、勝てなくて悔しいけれどとても楽しい二日間が過ごせる大会なのだ。
中川村のみなさんに感謝である。
さて、東京を朝早く出発して中央道の渋滞をかわそうと思ったのだが、首都高速に入ったとたん車の流れが悪くなった。試合開始時間に間に合わない恐れもある。連休初日だからヘビーな渋滞になったら大変だ。
しかし、幸いにも相模湖を過ぎた辺で渋滞は消えた。快晴の青空で気持ち良く走ることが出来た。ラッキー、これなら時間通りに着けるだろう。朝早い出発が功を奏した。
途中で寄ったサービスエリアでは、ドライブ途中の家族連れやカップルが晩秋の八ヶ岳の風景を盛んにカメラに収めていた。しかし、今年の紅葉はなんだか色が冴えない。いつもならもっと色彩が鮮やかだったと思うのだが・・・。
へっぴり腰でカメラを構えるご夫婦が微笑ましい。
ようやく中川村の天の中川河川公園、試合会場に到着するとすでにチームメイトが到着していた。朝早くの出発だったせいかみんな眠そうな表情だ。さて今日の試合はどうなるのだろう。
簡単な開会式が始まり、全チームが整列して試合のルールやスケジュールの確認をした。
少林サッカーズは赤いユニフォームが凛々しいのだが、確実に参加者の平均年齢を上げている。余裕のある表情の他チームを見ると苦戦しそうだ。
中川村のまとめ役小林さん、いつもお世話になってます。有り難うございます。
いよいよ対戦相手を決める抽選が始まった。なんとか予選リーグは突破したい。塩浦キャプテンのくじ運に期待がかかる。
抽選の結果はAコート、若く元気で強そうなチームの集まったコートになった。試合開始までアップしながら作戦を考える。果たして上手く行くか・・・な。
今年初参加のプロのマジシャン菅原さん。マジックで相手ボールを消してくれると勝てるはずだけれど、そんなことは出来ないよね。
彼も初参加の朴先生。フットサルより中川村の風景に感激していた。体力があるので彼の粘りのあるプレーに期待している。
次回に続く・・・
琉球古道と世界遺産
2009.11.12 Thursday
「座喜味グスク」
沖縄の世界遺産といえば「琉球王国と関連遺産群」のことだが、この関連遺産群というのが数百あると言うから凄い。しかし、世界遺産に指定されているのはそのなかでも、首里城、座喜味グスク、中城グスク、勝連グスク、今帰仁グスクなどの5つのグスク跡と玉陵など4つの史跡だけだ。合計9つの史跡がいま沖縄観光の柱になっている。
これらは琉球王朝が栄えた短い時代に作られたものが登録されている訳だが、じつは世界遺産に登録されていない史跡の中にも見応えのあるものやパワーのあるものが存在している。
例えば斎場御嶽が沖縄最大のパワースポットとして考えられ、遺産登録で整備されて観光地化しているが、僕が実際に歩いて感じるのは、規模は小さいけれど斎場御嶽に匹敵するようなパワーのある霊域がある。
何が言いたいのかというと、きれいに整備された世界遺産も良いけれど、生の沖縄のパワーを感じられるのは、当時からの姿をとどめたままに残されているグスク跡や御嶽の方だ、ということ。
観光地化された御嶽や拝所は、もはやパワーを持たないのではと感じているのだ。
これまで300か所ちかく歩いて撮影してきたが、この思いはますます強くなっている。沖縄のパワースポットを歩きたい人がいたらぜひ薦めたい場所がある。一つは浜川御嶽、もう一つは宮古島にあるのだが、場所は個人宅なので教えられない。宮古空港のすぐ近くなので、
地元の人に聞けば分かると思う。ここは凄い。ヒントは無数に穴が掘られている場所。
それから浜比嘉島も一周歩いてみるとなかなかの場所である。絶対に分からない山の中の洞窟にまだ知られていない怖い秘密があるらしい。僕は内容を聞いたけれど確かめる術がないので何とも言いようがない。いずれ発見されたら見に行ってみたい。
不思議な沖縄がけっこうあるのだ。
観光産業を経済の柱にしている沖縄だから、遺跡を整備して観光の目玉にしたいのは良く解る。しかし、世界遺産とちゅら海水族館以外にも
琉球古道のパワースポット
2009.11.11 Wednesday
「斎場御嶽から久高島を望む」
世界遺産に登録されてから、有料となってしまった斎場御嶽。何度も訪れているが、雨に降られた時はいまでも怖い思いをする。というのも沖縄独特の石畳がよく滑るからだ。
せっかくお金を払うので安全な道にしてくれればと思うけれど、沖縄一の霊域だからむやみに工事をするわけにも行かないのだね。濡れている時は慎重に歩くしかない。
行ったことのある人は分かると思う。斎場御嶽は植物と岩石によるパワーが伝わってくる霊域なのだが、そこに沖縄の人々の魂が注ぎ込まれているので本当に神秘な力を感じる聖域と思う。
一番奥から久高島が見えるけれど、首里城、斎場御嶽、久高島と一直線に並ぶらしく、このラインが沖縄で一番強いパワースポットなのである。
電車に乗って見えたのは?
2009.11.08 Sunday
「常磐線新型車両?」
かつて乗り馴れていた常磐線の普通列車に久しぶりで乗車した。
何年ぶりだろうか。時間があるので、普通列車で実家に向かうことにしたのだ。
相変わらず賑やかな上野駅だったので、昔の記憶がよみがえってきた。でも上野駅のプラットホームもきれいになっていて昔の面影は多くは残っていなかった。ちょっと残念。
しかし、なによりも驚いたのは車両だった。昔は小豆色のボディカラーで、ボックス席だったが僕の乗り込んだ車両は写真のように一列シート席だった。山手線や地下鉄の車両と同じスタイルの車両になっていた。
昔のようにボックス席でのんびり列車の旅と思っていたのに当てが外れた。これではお弁当食べたり、ビールを飲みながら雑誌を読んだりということが出来ない。新型車両で便利になった分失うものもあるということですね。
1時間もすると、利根川を越え窓の外に写る風景が田畑に変わってきた。茨城県に入った。
実家のある小さな駅もそれなりに変化している。昔の駅舎は汚くて臭かったが、多少リフォームされていた。
「常磐線小駅で見たトイレ横の自販機」
この写真の横は公衆トイレだった。そこが臭い駅の原因だったのだが、さすがに今は改善されていた。正直ホッとした。数十年も前のことなので、そんなこと当たり前だろうと言われるかもしれないが、駅の思い出としてまず最初に出てくるのだから、当時は強烈な印象だったのである。
そんな田舎の小駅が茨城空港が開港したら最寄り駅になるのだと言う。思わず笑ってしまった。この駅に一体空港駅としての機能があるのだろうか。
いまだに韓国便しか決まっていない茨城空港、地元も冷笑するような計画進めてしまいこれからどうするのでしょう。このままでは仁川空港の為に作ったようなものである。韓国の航空政策の勝利だね。
電車に乗って見えたのは日本の航空政策の貧しさでした。
なんのことやらのデモ隊
2009.11.04 Wednesday
「機動隊と小さなデモ隊」
昨晩晩酌を始めていたら、突然外が騒がしくなった。
窓からのぞいて見ると機動隊のバスが小さな集団の後をゾロゾロと着いて歩いていた。
デモ隊の先頭を警察の指揮車が、ヒステリックに指示を飛ばしながら動いている。
デモ隊の中で盛んにフラッシュが光る。おそらく公安の刑事が参加者の顔写真を撮っているのだろう。
それにしても元気のないデモ隊だった。
参加者も機動隊の方が数が多いように見えた。しかもシュプレヒコールが何を言ってるのか聞き取れない。リーダーが何かマイクで叫んでいるのだが、滑舌が悪くて何を言っているのかさっぱり分からない。
「????ハ・ン・タ・イ・・・」一体何のデモなんだろう。
気温が低くて寒い一日だったが、このデモ隊と機動隊の風景もとても寒いと感じてしまった。小さなデモにまで数で圧倒するような警察のやり方を見せられると、自由な言論表現を約束されているはずの日本だ、と思っているのは幻想だと気が付く。
警察には60年代、70年代のデモ隊の痛い記憶が残っているのだろう。
昨晩の酒はなんだか苦い味がした。
琉球古道、不思議な模様
2009.11.02 Monday
「チチャマグスクの不思議なマーク」
名城集落にあるチチャマグスク。以前も紹介したけれど、このグスクは強く印象に残っている。このグスクに祀られているビージル(自然石)が面白いからだ。
写真はグスクの中にある一つの石垣に刻まれたマークである。どんな意味を持つのか分からないが、不思議な模様であった。
このグスクは独特な雰囲気からスピリチュアルな地域だったことが伝わってくる。
「まんまるの自然石」
上の写真はグスクの中に安置されている神様(?)である。沖縄の拝所には自然石(ビジュル信仰)がおかれて、ご神体として祀られている場合が多い。ご神体が見つかった顛末を伝える逸話も、各地に数多く残されている。
村人が光っている石を見つけたり、海に浮いている石を見つるといった超自然的な話しが多いようだ。それらの逸話はこれから機会があれば追々紹介していきたい。
さて先ほどのマークだが、遺跡巡りをしていて石に刻まれたものを見るのは実は少ない。家紋の刻まれた墓石などはみることもあるが、石垣に刻まれたマークは今の所ここしか見たことはない。
一体このマークにはどんな意味があるのだろうか。不思議だ。
琉球古道、御嶽の森
2009.11.01 Sunday
「安和のくばの御嶽」
遠くに亜熱帯の小さな森が見えてくる。近づいてみると、ほとんどの場合はグスクか御嶽だ。カメラを手に森に入って行くと小さな祠があったり、崩れた石垣が残っている。
でも手入れされているので、木々をかき分けて行くということはない。村の人々が先祖神を大事に護ってきた聖域なので、どこの御嶽でも霊域という雰囲気を強く感じる。絶対に写真を撮っては駄目、と村人に注意される場所も幾つかあるけれど、ほとんどの御嶽や拝所はそんなに厳しく管理しているわけではない。
でも程度問題だから、写真を撮る時はマナーを守って欲しいものだ。拝んでから写真を撮るぐらいの敬意を払っても良いだろう。
ここの写真の御嶽は大きなものだった。案内してくれたAさんによると、沖縄を代表するような御嶽で、御嶽としての形式がきちんと残っているのでとても貴重な場所であるとのこと。
200本以上あるというくばの木も含めて森全体から沖縄の歴史が漂ってくる雰囲気があり、
写真を撮っていてもどこかから誰かが見ているような気がしたのである。
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