初詣の準備が始まった
2009.12.31 Thursday
「靖国神社境内」
年も押し迫り、明日はもう来年だ。
今年最後の東京散歩は久しぶりに靖国神社へ行く事にしたのだ。
一番町に事務所があった時は、ここを毎朝のように歩いていたので、初詣の様子はよく知っている。案の定、靖国神社境内は初詣客から小金を稼ごうとテキ屋が屋台の準備に余念がなかった。
この屋台の前を歩くと、つい買いたくなってしまう。しかし、良い思い出はそう無い。たとえば、店先には山形牛の串焼き500円というのが美味しそうに並んでいる。
何度も失敗しているのに、食欲にはかなわないからつい手を出すと、これがとても食べられない代物なのだ。固くて噛み切れない筋ばかりの串焼きだったりする。あきらめて捨てるしか無い。500円の大損だ。
いか焼きや、お好み焼きを食べて下痢した事は何度もある。
それでもつい買いたくなるのだから屋台の力は凄い。
「明日は人で一杯だ」
明日まで待てずに今晩から人は集まり始める。
お寺と違い神社なので、除夜の鐘はないと思うが12時過ぎには人・人・人で溢れる。
靖国神社と言えばお年寄りが多く集まるのでは、と思うかも知れないが実際は、カップルや若い人もけっこう多い。戦犯が祀られている事で政治問題化してしまう事が多いけれど、先祖を敬う心は忘れて欲しくない。
戦争を起こさないためには外交手腕が問われるから、これからの若い人たちには外国と上手に付き合う知恵を持って欲しいね。冷静な判断力と情報分析能力が必要になる。
靖国神社に祀られている英霊も二度と戦争なんてごめんだと思っているはずだ。
不景気を克服するのには戦争だ、なんて考える輩もいるから来年は注意してニュースを見て行かなければね。
出し尽くしました!!
2009.12.22 Tuesday
「ここまで折るのに・・・」
とうとうすっからかんになりました。
いや、歯磨き粉の事です。
財布はとうの昔にすっからかんですから、いまさら誰も驚きませんね。
ところで、まっさらな歯磨き粉のチューブを手にしたとき、蛇腹のように折り畳んで使い切ってみたら、チューブに残っているもったいない使い残しが無くなるのでは、と思ってやってみました。
ある程度使ったらチューブをしごいて先端に集めて行きます。中身の無い部分は折り曲げてクリップで留めます。一年近く何度も同じ作業を繰り返し、やっと写真のような姿になりました。
いまや、どう絞っても一滴も出てきません。
けっこう達成感があります。なんというか、小さなエコとでもいいますか。
少しでも資源の無駄遣いをなくしているという感じがあります。
それではまたやるかと言うともうやりません。一度で充分です。
心の中では達成感がありましたが、冷静に考えて見るとあまりにも些細なこと過ぎて、これで地球が良くなりそうには思えません。やはりもっと大きなエコ暮らしを考えた方が良さそうです。
とりあえず、車の運転はやめる事にしました。
化石燃料を使わないのが一番です。
50年物のマッカラン
2009.12.14 Monday
フィンランドの空港で見つけたマッカランには驚いた。
20年ものから始まって10年ごとに50年ものまでがセット販売されていたからだ。ウィスキーの中で一番好きなのがシングルモルトのマッカランだったのですぐに購入した。
約10年前の出来事だ。記憶によれば4本あわせて1万円位だったと思う。
当時の日本では、マッカランの50年ものを飲ませてくれるというバーに友人と二人で行き、シングルのストレートを頼んだら一杯の値段が8千円だった。バーテンが申し訳ないと思ったのか、8年もののマッカランをサービスしてくれたのを覚えている。
だから格安で手に入れたことになる。
以来、友人が来た時に少しずつ大事に味見をしていたのだが、昨日とうとう30年もののマッカランが無くなった。あとは40年ものと50年ものが、写真のようにわずかに残るだけとなった。
しかしながら、10年単位でのマッカランの味の違いは相当にあった。時の重みを加える事でまろやかになるのは想像できたが、好みはちがう。50年ものより40年ものの方が好きである。微妙に舌触りが違うのだ。もちろん薫りも色も違う。
「左から30年もの、40年もの、50年もののマッカラン」
こうしてだんだん減って行くとまた手に入れたくなるが、なかなか掘り出し物が見つからない。ネットで調べてもけっこう高いので手を出しずらいね。
ちょっと寂しい気もするが、次はどんなウィスキーに出会うのかを楽しみにしておこう。
晩秋から初冬へ
2009.12.10 Thursday
「枯れ木にカラスが一羽」
寂しい光景だった。
小石川植物園を通りかかったら、いつも元気に葉っぱを付けていたケヤキ?もすっかりはげていて、夕暮れ時だから幽霊のように枝が揺れていた。
カラスが一羽枝の上で鳴いているから、ますます寂しい思いにさせられた。
夜にはこんな道歩きたくないね。
しかし、小石川植物園の周りを歩いていると季節の移り変わりに敏感になる。都会の真ん中
だけれど、東京大学の研究施設ということで管理されているから、いろんな植物に出会える。
上の写真は、もうすぐ冬がやってくるのをイメージで伝わってくる。が、実はこの植物園には誰も知らない秘密があるのだ。といっても大げさな事ではないのだが、ある写真家が植物園にある池に印画紙を沈めて現像しているのだ。
もちろん内緒でやっている。
池で現像?、不思議に思われるかも知れないが、露光済みの印画紙はアルカリで還元されれば
どんなものでも現像出来る。例えばドブ水で現像なんてことも可能なのである。
試しに植物園の池に沈めてみたら現像出来ちゃった、なのだ。
いまでも彼がやっているのかは分からないが、ここを通るたびに思いだす。
「ツタの紅葉」
まぁそんな事で歩いていたら、塀に伸びてきたツタがきれいに色づいていた。
この葉が落ちればもう冬なんだなぁ。
琉球古道、惣慶の村シーサー
2009.12.09 Wednesday
「惣慶の村シーサー」
「琉球古道」をテーマに沖縄各地を歩いて写真を撮っていると、村の入り口あたりの道路横に小さな石が置いてあるのを目にする。
普通にあるので見過ごしてしまう事も度々だが、村によっては小さな説明板があったりするのでそれが村シーサーとわかる。
いまでは各家の屋根に鎮座しているシーサーも昔は村に一つだけだった。
立派な村シーサーもあるけれど、写真のようにただの石にしか見えないシーサーだって、大事にされて村を護ってきた分けだ。風雨にさらされて削り取られてしまってはいるが、いまでもひっそり皆を見守っている。
沖縄をドライブして歩く時はこんなシーサーを探してみると面白い。50個以上残っているらしいので、それぞれ違う表情のシーサーが見られる。古いシーサーマップを作ってみるのも面白いかもね。
空き地にビルが建つ
2009.12.07 Monday
「小石川周辺」
日課の散歩をしていると、小さな変化が目に留まることがある。
自然の変化やひっそり空き家になったりという小さな変化もあるが、小石川周辺の変化はもっと大きなものである。というのも、便利に使っていた格安パーキングが次々と消えて行き、ビル工事の準備が始まっていた。
注意して歩いていると、閉鎖されていた空き地で次々にビル工事が始まっているのに気がついた。不景気風が日本中を吹き荒れているのに、この辺りは関係がないのだろうか。
それとも景気回復の兆しなのだろうか。
近頃のマスコミは当てにならないから、自分周辺の出来事から少しでも良い兆候を感じると
ちょっと元気になる。でも、たまたまという事だってあるから手放しでは喜べないけれどね。
それにしても工事の数が多いよね。
不忍池に向かう
2009.12.05 Saturday
「不忍池の枯れた蓮」
いまにも降り出しそうな雲行きのなか、本郷から上野まで歩いた
しかし、変な一日になった。雲行きが怪しいせいでもないだろうが、アクシデントが幾つもあって、散歩中に目撃することになったのである。
まず一つ目は本富士警察署の前で、髪を振り乱して疾走する自転車が前を歩くご夫婦に突っ込んできた。アッと息をのんだが、女性がとっさに避けたので大事に至らずすんだけれど、
なんと暴走自転車に乗っていたのはおばちゃんだった。
接触したせいでバランスを崩し、おばちゃんは自転車ごと車道によろよろと転びそうになった。でも短い足を精一杯に伸ばしてなんとか踏みとどまったが、不満そうな顔で振り返り、こっちを睨みつけた。
誰がどう見たって悪いのはおばちゃんだ。ご存知の方もいると思うけれど、春日通りの本富士警察署のあたりは歩道が狭い。そんなところを自転車が歩道を走ること自体問題なのだ。
おばちゃん、ごめんなさいの一言言った方が良いと思うよ。
「ドラゴンと自販機」
結局お互いにその場を離れていったが、もしもと考えると怖い瞬間だった。
さて、ぼくはそのまま上野に向かい、不忍池で一休みすることにした。
春日通りを下っていたら、立派なドラゴンの像があらわれた。
後ろに自販機が並んでいる風景が面白いので写真を一枚撮った。
いまさらだけれど、僕の運も世の中の景気もドラゴンのように勢い良く昇って欲しいね。
不忍池は何事も無く、平和な様子だが、ぐるりと不忍池を一周し、本郷まで戻ってくると春日駅で人だかりがしていた。地下へ向かう階段で二人の駅員が必死に介抱している。
誰かが階段を踏み外して落ちたらしい。救急車の音が近づいてきた。
ところが、交差点で救急サイレンの音がしているのにどの車も止まらない。救急車は無視されている。日本人の心が弱っていると強く感じた一日であった。
琉球古道、食栄森御嶽
2009.12.03 Thursday
「食栄森御嶽の灯籠」
この御嶽の名前をなんて読むのか分かりますか。
南城市の農村公園にある御嶽だが、案内されて説明板に書いてある表記を見て初めて読み方が分かったのである。
答えは「イイムイウタキ」と読みます。
難しい地名の多い沖縄には、これは読めないと思う地名が幾つもある。これもその一つだね。そもそもウチナー言葉に漢字を当てはめて行ったのであるから、読めないのも仕方がない。沖縄では、地名を漢字の意味で考えるのは適当ではない。
さてこの「イイムイウタキ」には人骨が埋葬されている。
言い伝えでは、源為朝と大里按司の妹の間にできた舜天王ということになっている。
しかし、為朝が本当に沖縄に来たのか疑問があることから、誰のものなのかはっきり分からない。
掃除されてはいても、さすがに数百年の時間の積み重ねが、御嶽の風景にある種の重みを与えている。全体の雰囲気からすると相当な実力者が埋葬されているに違いない。
印象的な御嶽の一つである。
琉球古道、泉の伝説
2009.12.02 Wednesday
「仲村渠樋川」
沖縄で暮らす上で大切なものと言えばいろいろあるが、昔から人々がとても大事にしてきたものがある。それは「水」だ。
たとえば沖縄には島が全部で160余りあるけれど、有人島は48島だけだ。残りは無人島である。人の住める島と無人島との大きな違いの一つは、その島で水が確保できるか出来ないかである。しかし、48の有人島には、水源があっても慢性的に水不足の、座間味島のような島もあるのだ。水が大事にされるのは当然である。
沖縄のイメージからすると、スコールや雨期があったりするので、水が豊富と思われがちだが、これまでに何度も干ばつに見舞われている。大正時代末期から昭和初期にかけての「ソテツ地獄」といわれる恐慌のときも、時代背景の他に干ばつの影響があったともわれている。
特に宮古島なんて川の無い島だから、一旦干ばつが来ると大変なことになる。「ソテツ地獄」のときも宮古島は悲惨な事になってしまった。
ところで、琉球古道を歩いていると、何百年も続いている水源がいくつも出てくる。写真はその一つの仲村渠樋川。古琉球時代に石畳が整備されていた、ということはとても大事な水源だったのだろう。
ここだけではなくて、各地の水源はきれいに珊瑚石灰岩で整備されていることが多い。なかにはいろいろな民話や伝説が語り継がれている泉もある。有名なところでは宜野湾の森の川、伊計島の犬名川にもある。
森の川はいわゆる天女伝説といえるが、伊計島の犬名川は大干ばつが起きた時に犬が泉を見つけたという言い伝えである。面白いのは、沖縄で泉はしばしば動物が見つけることである。代表的なのが犬なのだ。
犬といえば本土では安産の象徴だが、沖縄では人の命を救う活躍をする動物だ。所変われば犬のイメージも変わるのだ。
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